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営業課長から社長に抜擢!その原動力・心の支えは「自社開発」への熱意でした

経営者の情熱を発信していく“Project CHAIN”。第11回目は、神奈川県川崎市にある株式会社トーキンオールの吉田基一社長にお話を伺いました。同社はトンネル工事で使われる鋼管などを開発・製造している企業です。同社製の鋼管パイプはトンネル工事の際に掘削面に打ち込まれ、そこに薬剤が注入されることで山の崩落を抑制できるというものです。安全にトンネル掘削を進めるには不可欠な資材で、全国各地の工事現場で使用されています。
トーキンオールというちょっと不思議な(?)社名の由来ですが、『トーキン』は旧社名の「東京金属工業」の略称、『オール』は船のオールを表しています。”会社を1つの船に見立ててみんなで漕いでいこう”という思いが込められているようです。
吉田社長は38歳の若さで営業課長から4代目の社長に抜擢されたご経歴の持ち主です。今回はその当時のエピソードや、その後、長きにわたり経営されている中で貫かれている「こだわり」に迫ります。

会社が大転換を迫られていた中で、ある日「社長をやってくれ」と言われたのです。

-社長就任以前はどんなことに取り組まれていましたか。

私は経営陣と血縁関係が無い一社員でした。当時(1970年代)の弊社は、大手製鉄会社の協力会社であり、下請け仕事が売上の8割を占めていました。ただ、私自身は下請け仕事の担当ではなく、新製品開発担当としてお客様や商社のニーズを弊社の技術部門に持ち込み、議論しながら開発を進める仕事をしていました。あの頃は多くの人に話を聞くなど市場調査に汗を流す日々でした。その成果の一例ですが、電力会社のニーズを掴んで、地下にある送・配電線を支える耐震用ケーブル支柱の製品化に成功しました。これは今でも弊社主力商品の1つで、35年以上、無事故です。また、石油・天然ガスの採掘に使う鋼管の長さを調節するためのサブパイプについても、海外まで足を運んでニーズを把握し、国内にライバルがいないことも調査したうえで製品化しました。これらの開発の際に学んだ市場調査のノウハウ・勘所が、今でも私を支えています。

-素晴らしい実績を出されてきたのですね。とはいえ、営業課長からいきなり社長になるのは驚きです。

1980年代半ばの円高不況で鉄鋼業界に陰りが見え、売上の8割を大手製鉄会社に依存していた弊社も厳しい状況に追い込まれました。このままでは会社が立ち行かなくなると考えた当時の経営陣は「脱下請け、新しいものを作って生き残る」という道を選び、体制を一新することを決断したんです。そこで、それまで新製品開発に携わってきた私に突然白羽の矢が立ちました。当時の会長から、まだ営業課長だった私に社長就任の打診がありましたが、私は「社長になるなんて、そんな大それたことは出来ません」と一度は固辞しました。

自社開発製品へのこだわりや愛着が社長就任の決め手でした。自社製品を持っている会社は強いのですよ。

-最終的に社長就任を決断した理由は何だったのでしょうか。

当時の経営陣の判断は『自社製品の開発に特化した会社を目指す』ことであり、私が社長を引き受けなければ会社は解散し、これまで開発した製品は他社に譲り渡すことになるとのことでした。それは何としても避けたかった。自分が携わった製品を守りたい、育てたいという思いがありました。この思いが私の背中を押してくれました。
もちろんプレッシャーはありましたが、前社長と前技術部長が顧問として脇を固めてくれました。3人で役割分担し、私は自分の得意な新製品開発などに注力していくと割り切ってしまうことで幾分は気が楽になったことを覚えています。

-製品開発に対する情熱が伝わってきますね。

「お客様から図面を貰ってそのとおりに作る仕事はやらない、自分たちで考えた製品を作るメーカーになろう!」というのが私のポリシーです。
弊社最大の主力製品であるトンネル工事で用いる鋼管も、2年かけてニーズ調査を行い、幾度も試作を繰り返し、量産化まで4年を要しました。鋼管は、従来であれば山に打ち込んで薬剤を注入した後は廃棄されていたのですが、工事現場においても産業廃棄物を減らす取り組み・工法が求められているというニーズを踏まえ、分別回収・再利用が可能となる仕様の環境対応型鋼管を大手ゼネコンと共同開発するなど、絶えずニーズを捉えた製品開発を進めています。自社製品を持っていないと、かつての弊社のように取引先の都合で突然立ち行かなくなるリスクもあります。また、自社製品は大企業と対等に交渉出来る強力な武器になります。会社が生き残るためにも自社製品は必要なのです。

「大手ゼネコンと共同開発した環境対応型鋼管は、資源のない日本にとって分別・回収した鉄の再利用を出来る点が高く評価されている」と吉田社長。

私も、次の世代も、変わらずに大切にしたいこと。それは、多くの人と出会うこと、見ること。それがものづくりの想像力を高めていく。

-ニーズを踏まえた自社製品を作るというこだわりが、会社を強くしたのですね。

そうだと思います。コロナ禍において営業活動を控える中でも、ニーズ調査や開発を怠らず、複数の特許を取得し新製品の量産を開始するなど、自社製品開発への情熱を持ち続けています。ただ、私が社長に就任して30年以上経過しました。数年を除いて黒字経営を維持できましたが、社会が大きく変貌したこともあり、そろそろ柔軟な思考を持っている若い世代に譲りたいと考えています。
弊社は金属製品以外の事業も手掛けています。中小の製造業はいろいろなことをやらないと生き残れません。若い人には様々な経験をして貰いたいと思っています。例えばNC旋盤の作業でも、数値を入力してスイッチを入れて終わり…ではなく、自分でプログラミングしてみるなど、そういうことを積み重ねて製品開発の思考・創造力を養ってほしいですね。
私も、日頃から社員に対しては「あれをやれ、これをやれ」というのではなく、大きな方向性を示して「後は自分で考えなさい」と言うように心がけています。おかげさまで若い社員たちは辞めることなく頑張ってくれています。

新幹線や高速道路のトンネル工事現場を支える製品はここで生み出されます。

-自分で考えることはとても大切なことですが、難しいことでもありますよね。ヒントとなるメッセージをいただけますか。

ビジネスにおいて、新しいものが生み出されるプロセスは、散りばめられた「点」が「線」で繋がっていくことだと考えます。点を線で結ぶには、多くの人と出会い、多くのものを自身の目で見るという機会を得ることが重要です。これらは、ものづくりの想像力と創造力、すなわち、自社製品を開発する力を高めてくれるチャンスになるものだと若い人には理解してもらいたいです。
これまで多くの人やものと出会うことができ、そのチャンスを戴いた皆様には感謝しております。私の頭の中にはまだまだたくさんの「点」があります。これらをいつか「線」で繋げられるよう、これからも人やものとの出会いを大切にしていきたいと思います。

会社の敷地や鉄鋼業団地内には桜が植えられており、社員や取引先の方々の目を楽しませてくれます。

【企業情報】
  株式会社トーキンオール
 代表取締役 吉田 基一(よしだ きいち)
 神奈川県川崎市川崎区浅野町4-11

-編集後記-
製品開発の手腕を買われて30年以上前に社長に抜擢・就任された吉田さんは、まさに「レジェンド」ですが、インタビューでは製品開発への情熱が伝わり「今なお現役」であることもわかりました。やがて、その情熱が次の世代に受け継がれることになると思いますが、会社がどのように進化していくのかを改めて取材したいと思っています。
                           派遣特派員HK

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