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職人の父を心から尊敬したあの日

経営者の情熱を発信していく“Project CHAIN”。第13回目は、山梨県甲府市にある株式会社小松ダイヤモンド工業所の小松一仁社長にお話を伺いました。同社は、ダイヤモンドの研磨技術を応用し、世界で初めて本真珠の表面に、ダイヤモンドのようなカット面をつけることで、中が透けて見えるような神秘的な輝きを放つ加工技術を確立しました。この技術を用いた「華真珠(はなしんじゅ)」は、2009年に「第3回ものづくり日本大賞 内閣総理大臣賞」を受賞し国内外から高い評価を得ています。小松社長は、職人気質だった創業者のお父様が作り上げた数々の作品や技術とともに会社を受け継ぎ、2代目社長としてお父様とは異なる経営術や経営者としての考え方を確立していきました。
その過程において様々な困難に直面されたようですが、どのように乗り越えて今に至ったのか、また、ジュエリー業界や地域の将来に対してどのような思いをお持ちなのかなど、熱く語っていただきました。

父の後を継ごうと決意した衝撃的な出来事

-家業を継ごうと思ったのはいつ頃からでしたか。

家の中に工場があり、物心がつく頃から職人気質の父の宝石研磨の仕事を見て育ち、時には手伝いもしていましたので、周りからはごく自然な流れで父の事業を継いだかのように見えるかもしれません。でも実は、継ごうと思ったきっかけとなる出来事がありました。
私が高校生だったある日、父がごく一般的な成形機械を用いて、通常では考えられない加工をしていたのです。言葉で説明するのが難しいのですが、宝石に丸みを施すための機械で、ある工夫をすることにより、角を出す加工をしていたのです。これを見た時、衝撃を受け「この人はすごい!」と父の技術や事業を心の底から尊敬しました。そして、この人から学べば、将来、手に職をつけて、自分の力で生きていけるのではと思ったのです。この出来事が契機となり、事業を承継しようという意識が芽生えました。

手作業による宝石の加工は、熟練した技術と根気のいる作業によって支えられている。

技術では父を超えられない。父とは異なるアプローチに挑んだ私を「Give」の精神が支えてくれた

-承継後は、どのように経営していこうと思いましたか。

職人気質だった父の技術力を自分が超えることは不可能だろうと思っていましたので、技術に対して、超えたい気持ちや張り合う気持ちを持つことはありませんでした。
父は素晴らしい物を作ることに長けていましたが、売ることが苦手だったので、逆に私は物を売ることを頑張ろうと思いました。工場には父が残してくれた宝がたくさん埋もれていましたので、それを現代風にアレンジして売り出すことをしました。ですが、私も売ることに特別な知識や経験があったわけではなかったので、時には、専門知識のある人や売ることが上手な社長さんなど、色々な人からサポートやアドバイスをいただきました。結局、今でも売ることが得意なわけではないのですが(笑)。
ただ、努力して取り組んだ結果、得られたことがあります。それは「Give and Give」の関係を作っていくことが大切だということです。素直になって人の厚意やアドバイスを聞いていけば、相手からGiveしてもらえる人間になれるのです。もちろん、Giveしてもらったことにはきちんと感謝をして、自分も他の人にGiveして還元していくことも必要です。
本来であれば私に多くのことを教えてくれた亡き父に最もGiveして還元しないといけないのかもしれませんね。

丸い真珠の表面をダイヤモンドのようにカットすることにより、独特な輝きを放つ「華真珠」。2009年「第3回ものづくり日本大賞」の内閣総理大臣賞を受賞。

経営が苦しい中での「ものづくり日本大賞」受賞。少しずつ変わり始めた環境。

-第3回ものづくり日本大賞の内閣総理大臣賞を受賞され、ご自身や会社に大きな変化はありましたか。

実は、2009年の受賞の時は、会社の業績が非常に悪く、事業を継続していくために日々のやりくりに必死だった頃でした。そんなときに内閣総理大臣賞を頂いて、もう一度頑張ってみようと思えたのです。
受賞後は少しずつ「華真珠」が注目を浴び始めました。しかし、ヒット商品があるからといって急激に経営が改善したわけではなく、ビジネスの先輩方からご指導いただくなどしながら、何年もかけて改善させていったという感じです。その過程で、一歩間違えれば黒字倒産という危機もありましたが、必死で取り組み経営を立て直すことができました。今後は、こうした経験を活かして同じような状況に苦しんでいる他の事業者の力になりたいと思っています。

-業績回復の過程で得た教訓などはありますか。

“チャンスを逃さない”ということですね!私は運にはずっと恵まれていまして、不思議なことに「こういうビジネス環境にならないかな」とか、「こういう人から声が掛からないかな」と頭の中で思い描いたことが、自分が思っていたよりも数年早く現実となることが多いのです。いつも突然の機会であり準備不足なことは否めませんが、この機を逃すとチャンスは二度と来ないと思い、必ずオファーを受けるようにしました。

経営が苦しい時期に奮起させてくれた「ものづくり日本大賞」の賞状が今も社長を見守っている。

地域への恩返しとジュエリー業界の未来

-「宝石のまち甲府会議」と呼ばれる、ジュエリー産業の活性化を通じた街づくりを考える団体を創設し理事長に就任されましたね。どういった想いで立ち上げたのでしょうか。

私は、業績が悪くて苦しんでいた時にいろいろな人との出会いの機会や運に恵まれて、立ち直ることができました。これからは、悩んでいる若手経営者に手を差し伸べる立場になって、業界に還元していきたいと考えています。また、ジュエリー産業を支えてくれている甲府地域にも恩返していきたいと思っています。これは単なる慈善や奉仕活動ではありません。街が衰退すれば働き手がいなくなり、ジュエリー産業も衰退してしまうことになるわけです。ですので、街づくりに取り組むことは長い目で見るとジュエリー産業のための活動でもあると考えています。甲府のあらゆる業種の方々や市民の皆さんには、「ジュエリーの街」ということを最大限活かして元気になってほしいと思っていますし、そのためにたくさんの人が足を運んでもらえるような街を作っていきたいですね。

-ジュエリー業界への期待はありますか。

甲府にあるジュエリー業は、2~3人でやっている小規模な事業者が多いのですが、ジュエリー業は生産規模が小さくても利益を出せる業界なので、事業規模や売上げの大小にはこだわらず、利益を重視した経営を行って、強い会社になっていってほしいと思います。
この業界には「良いものを作れば売れる」と考えている人も多いのですが、残念ながら今はそのような時代ではありません。市場が厳しくなるジュエリー業界においては、「売れる仕組みを作る」マーケットインの考え方が必要であり、そのような考え方を業界全体に定着させたいと思っています。商品のストーリー作りなど、売り方のコツや工夫をみんなで考えて、世界に通用するブランドを目指して盛り上げたいですね。甲府のジュエリー業が長く継続・発展できるように頑張っていきます。

加工作業を行う従業員。若年層や女性が多く、地域の人材を雇用。会社と地域が共に支え合っている。

【会社概要】
  株式会社小松ダイヤモンド工業所
  代表取締役 小松 一仁(こまつ かずひと)
  山梨県甲府市宝1₋11₋20

‐編集後記‐
小松社長は、「ものづくり日本大賞」の内閣総理大臣賞を受賞されたご功績がありながら、インタビュー中のとても謙虚な姿勢が印象的な方でした。また、自社の成長だけでなく、地域や業界へ貢献していきたい、自分が受けた恩や経験を他の人に還元していきたい、という他者を想う心が真っ直ぐ伝わってきました。小松社長が愛する甲府の街が「ジュエリーの街」として今後更に賑わいを増していくことに期待したいと思います。

                          担当特派員 HA