関東経済産業局

経済産業省 関東経済産業局 政策評価広報課です。私たちが出会った地域、中小企業、人が紡…

関東経済産業局

経済産業省 関東経済産業局 政策評価広報課です。私たちが出会った地域、中小企業、人が紡ぎ出す物語をお話しします。 経済産業省ソーシャルメディア運用方針 https://www.meti.go.jp/sns/sns_policy.html

マガジン

  • 地域HOTパーソン

    地域への熱い思いを持って奮闘するキーパーソンに、その情熱のルーツや取組などを伺う「地域HOTパーソン」。様々な悩み・課題にぶつかりながらも、地域経済の活性化に取り組むその思い、様々な工夫などをご紹介します。

  • 担当者が語る!施策の深層

    関東経済産業局が実施する施策には、「現場」の実情を踏まえたオリジナリティの高い取組があります。それら施策に取り組む職員が思いや取組の裏側を紹介していきます。

  • Project CHAIN

    地域で頑張る企業・経営者にはそれぞれの物語があり、思いがあります。地域で果敢に挑戦する情熱を持った素晴らしい人達のビジネスの肝や、取組にかける思い、苦難を乗り越えた秘訣などを紹介していきます。

  • 施策見聞録(中小企業施策 どう使ってますか?)

    あの企業は、中小企業施策をどう使ったのか? 施策の目的や意義について、ご活用頂いた企業様のインタビューを通じて出来るだけ分かりやすく情報発信していきます。

  • 施策活用の現場から

    経済産業省の施策を活用した具体事例について、画像を添え分かりやすいストーリーで発信します!これまで施策に馴染みがなかった方にも、施策の情報や具体的なイメージが伝わるような記事を目指します。

最近の記事

企業に頼られる『群馬のお母さん』

茨城から群馬へ-よろず支援拠点のチーフコーディネーターになるまでの経歴を、簡単に教えてください。 実は、私は茨城県出身です。民間企業からのお誘いもあったのですが、茨城県庁に就職することになりました。はじめに本庁で秘書業務を数年務めたのち、県の東京事務所で、知事の秘書や経理、各部局に関連した会議の設定や、各種団体イベント設営のお手伝いなどをしていました。あまり公務員らしくない仕事が多かったかもしれません。秘書時代が長かったこともあり、『この人を立てるにはどうしたら良いか』とい

    • 「面白い!」を何よりも大事に!新しいことにチャレンジし続ける極意とは

      女性役員の「先駆け」として-テトラ・アビエーション株式会社に入社されたきっかけを教えてください。 もともと行政書士として仕事をしていたのですが、代表取締役である中井さんの知人から紹介を受けまして、「ベンチャー企業にも航空機が作れるんだ。すごいなあ!」と思って面白そうだから入社しました。 当初は社員として労務管理等を担当するようにお願いされ入社したのですが、入社して1~2週間後急に役員になってくれないか打診があり、驚きのあまり「聞いてないです!」と言ったことを今でも覚えており

      • カーボンハーフまであと6年!脱炭素化は競争力強化のポイント ~地域企業・自治体等におけるカーボンニュートラル推進~

        今をときめくカーボンニュートラルに携わりたい-明城さんはカーボンニュートラルの業務に興味があったと聞いていますが、どこに惹かれたのでしょうか 志望動機みたいな質問ですね(笑)。端的に、“今をときめくカーボンニュートラル”(以下、CN)に携わってみたかった、ということが理由です。個人的な話となりますが、入局当初、産業部に配属、その次は経済産業省地域経済産業グループに出向し、産業振興と地域振興に一通り携わったため、エネルギー政策にも取り組んでみたいという思いがありました。専門性

        • 業界にイノベーションを!食品流通革命児が世界の夜明けに見るものは

          暗闇の中で見つけた革命の果実-起業を決意したきっかけをお教えください。 将来は父の跡を自分が継ぐのだろうと思い、家業の冷凍機会社で働いていましたが、業界の先行きを見るとビジネスモデルにも限界があり、どうも暗い先しか見えなかった。自分は本当にこのままで良いのかと自問する中で、30代の時に自分探しの旅をしようと思い、東南アジアの国々を巡りました。 タイである果物を初めて口にしたのですが、それは現地栽培のマンゴスチンでした。とにかく甘くて鮮度が高い、こんな果物を日本でも食べること

        企業に頼られる『群馬のお母さん』

        マガジン

        • 地域HOTパーソン
          7本
        • 担当者が語る!施策の深層
          5本
        • Project CHAIN
          41本
        • 施策見聞録(中小企業施策 どう使ってますか?)
          12本
        • 施策活用の現場から
          10本

        記事

          「事業継続に向けて様々なリスクを想定し対応する!」事業継続力強化計画×BCP×ISO認証

          有限会社中澤製作所は、昭和50年4月に長野県千曲市で設立された、自動車や家電、医療用のコネクタ製造を主とする企業です。金型設計・製作から生産加工までの一貫受注を可能としています。また平成24年8月に統合ISOを取得し、ライン内に自社で開発した省力型検査機を設置し、製品の全数保証を行うなど、ISOに準じた品質保証体制を整えています。 ISOの中でも、ISO22301(事業継続マネジメント)を取得し、災害への備えも積極的にしており、事業継続力強化計画の認定も受けています。 そこ

          「事業継続に向けて様々なリスクを想定し対応する!」事業継続力強化計画×BCP×ISO認証

          「ナマステ!」スパイスを愛し、地域から愛される親子の物語

          「はい、出来ます!」の気持ちを大切に byマハラジャの会長-井上スパイスを起業しようと思った経緯を教えてください。 和人会長:実家で唐辛子を栽培していたこともあり、小さい頃から辛いもの好きでした。その影響もあって自然とスパイスに興味が湧き、業務用のスパイス製造会社に就職しました。その中で、より多くの方々にスパイスの魅力を伝えたい、食卓のテーブルに近いスパイスを作りたいと思うようになりました。そこで、少量かつ安価な家庭用のスパイス商品を作るために起業したのです。 -和人会長

          「ナマステ!」スパイスを愛し、地域から愛される親子の物語

          「やりたいこと、好きなことを起点に」-仲間を集め増殖しながら、まちの活性化のための土壌をつくる「菌のヒト」-

          アパレル勤務から結城商工会議所の経営指導員へ-以前はアパレル企業に勤務されていたとのことですが、経営指導員になろうと思ったきっかけを教えてください。 自身のライフスタイルを見直したいという思いから、Uターンで地元に戻ってきました。地元で父が商工会議所の職員をしていて、子供の頃に地元の人から「お父さんにはお世話になっているよ」と言われていたので、「商工会議所はまちの人から頼られる存在なんだ」と子供ながらに思っていました。せっかく地元に戻ってきたらやりたいことをやりたいと考えて

          「やりたいこと、好きなことを起点に」-仲間を集め増殖しながら、まちの活性化のための土壌をつくる「菌のヒト」-

          「失敗大歓迎!」その裏にある社長の想いとは

          学生時代から抱いていた経営者の道-クフウシヤを起業した経緯を教えてください 学生時代から漠然と経営者になりたいと思っていました。20代はまずは経験を積まなければと思い、ITの営業職など6年ほどサラリーマンを経験しました。その間も経営について学びたいと考え、MBAに通ったり、中小企業診断士の資格も取得しました。 -その後、クフウシヤを起業したのでしょうか? まずは父が独立して飲食店をやるというので、仕事を手伝うことになりました。そこで、大きな失敗を経験しました。飲食店を3

          「失敗大歓迎!」その裏にある社長の想いとは

          「信頼するということ」従業員が輝く職場をつくるために

          テニス一筋の学生時代。大学卒業後は現場を経験-津覇社長の経歴を教えてください 10歳の時に、近所にテニスコートができたことをきっかけにテニスを始めました。その後、小中高大とテニスを続け、現在でもシニアの選手として55歳以上のクラスで大会にも出場しています。8年前からは指導者として白井市の男子監督も兼務しています。 大学卒業後は、沖縄出身の祖父が上京して設立した鉄道車両等を製造する会社の現場で働いていました。亡くなった祖父は非常に人間味のある人柄でしたね。あるとき、私のテニス

          「信頼するということ」従業員が輝く職場をつくるために

          新しい経営支援を実践し、拡げていく~地域の応援隊である関係人口を増やし、新たな魅力創造につなげる~

          広域指導員としてやりがいが持てるような職場作りを―今年度から広域指導員に着任されたかと思います。 元々商工会に入ったのは、現場で実践できる仕事に魅力を感じ、地域で頑張っているお店や企業の支援を通じて町の新たな魅力づくりや地域活性化に貢献したいと思ったためです。 広域指導員には前任者からの推薦をきっかけに着任しました。県内に53もの商工会があると、声の大きい指導員が目立つのかもしれません(笑) 広域指導員の仕事は多岐にわたりますが、私が広域指導員として取り組むべき一番の課

          新しい経営支援を実践し、拡げていく~地域の応援隊である関係人口を増やし、新たな魅力創造につなげる~

          先見の明で、常に前へ突き進む 世の中に必要とされる会社を目指して

          作業着姿で働く父の背中を追いかけて-藤池社長がデサンに入社されるまでについて教えてください 子供の頃から工場で社員と一緒に働いている作業着姿の父が好きでした。「作業着」に憧れがあったのかもしれません。父は日々忙しそうで、「お父さん」として一緒に居る時間は少なかったと思いますが、夏休みになれば社員のご家族と一緒に旅行へ出かけたりもしていました。当時社員は15名くらいで家族同然でした。 会社を継ぐことに抵抗はなく、むしろ継ぐことを前提に生きてきた感じです。 大学で化学を専攻した

          先見の明で、常に前へ突き進む 世の中に必要とされる会社を目指して

          人とモノとコトを心地よい関係でつなぎたい。

          母を助けたい、その一心で入社、そして社長に-会社を継がれたきっかけは何ですか。 小さなころから工場に出入りはしていましたが、高校卒業後は一般企業に就職したこともあり、まさか会社を継ぐとは思っていませんでした。元々会社は父が社長で、父の兄弟が専務、そして母も工場の作業を手伝いながら経理を担当していました。母は私が小学4年生の時から祖父の在宅介護もしており、本当に大変そうでした。両親と家族旅行が出来たのはたった一度きりです。 そんな母から、「経理を手伝ってほしい」と声をかけられ

          人とモノとコトを心地よい関係でつなぎたい。

          円滑な事業承継につながった経営革新計画

          株式会社佐野機械は、昭和35年に現社長である佐野哲也氏の祖父佐野清氏が製紙機械の設計製作を生業とし創業しました。令和4年9月に父である佐野勝由会長から哲也氏が代表を引き継ぎ、来年で65年目を迎える地域の老舗企業です。特に、機械内部の搬送用ベルトの蛇行防止技術に強みを有しており、昭和40年頃に最初の装置を開発、平成15年には新型機を開発し特許を取得するなど、高い技術力を持って商品を全国に提供しています。蛇行防止装置の製造に特化した事業者は全国でも数社のみで、ニッチ分野において存

          円滑な事業承継につながった経営革新計画

          経営力向上計画をきっかけに、人手不足の解消&経営のモニタリングに取り組む!

          今回取材したのは、東京都立川市に本社を置く『株式会社ウオールナット』です。 同社は、土木構築物の調査計測サービスと機器開発を行っており、「斬新な発想と創意工夫の機動力で社会生活の安全を守る」という経営理念のもと、インフラ土木構築物の調査点検業務を展開しています。老朽化が急速に進んでいるトンネルを始めとするインフラメンテナンス事業を主力とし、トンネル等を点検・調査する際は、空洞探査や目視調査、ドローンを用いた調査など様々な調査方法を取り入れています。 同社の齋藤社長は創業以前、

          経営力向上計画をきっかけに、人手不足の解消&経営のモニタリングに取り組む!

          80年以上地域で愛される『中央亭の餃子』を引き継いでいくために~未来を見据えて~

          家業である「中央亭」との関わり-家業に携わったきっかけを教えてください。 中央亭は、私の祖父母が80年以上前にビルの一角を間借りして創業した、カウンターに8人程度が座れる小さな中華料理屋がその始まりです。 最初はラーメンやチャーハン、餃子など一品料理を提供する一般的な中華料理屋でしたが、ある時から「中央亭の餃子が美味しい!」と巷で評判になり、そこから餃子の提供一筋となりました。祖父母はリヤカーをひいて、餃子を販売していたこともあったそうです。 その後、父が事業を継いで沼津

          80年以上地域で愛される『中央亭の餃子』を引き継いでいくために~未来を見据えて~

          中小企業は、地域を盛り上げるパートナー -現場に足を運び、人と人とをつなぐ支援を行う

          市役所職員の視点から見た景色ー木村さんは、信用金庫での勤務を経験されているのですね。 そうですね。社会人としてのスタートは信用金庫です。 実家が商売をやっていましたので、学生時代は実家の手伝いばかりしていました。就活の時期になり、就職先も決まらずふらふらしていた時に、たまたま実家と取引していた信用金庫のご縁で就職しました。 しかし、厳しい世界でノルマに耐え切れず、たった3年半で辞めてしまいました。3年半、何の実績も残せていなかったと思います…。当時は本当に甘い人間でした

          中小企業は、地域を盛り上げるパートナー -現場に足を運び、人と人とをつなぐ支援を行う