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「父から受け継いだノート」経営者の魂が込められた1冊のノートから経営を学ぶ!

経営者の情熱を発信する“Project CHAIN”第10弾。今回は、埼玉県日高市の株式会社旭フーズ代表取締役の菊地拓也さんです。同社は、業務用食材の卸売事業者で、徹底した温湿管理と正確なピッキングを強みとしています。また、埼玉県日高市、長野県千曲市と災害協定を結び、災害が発生した際には避難所向け食糧品の提供をはじめ、救援物資の集積及び配送の拠点としての役割を担うことになっています。今回は経営に対して熱い想いをもった菊地社長に、これまでの苦しかった経験などについてお話をお伺いしました。

入院中の父親から受け取った経営者の心構えが書かれたノート。

-菊地さんが小学生の頃に大きな転機があったと聞きましたが。

私が小学校3年生の時に、食品会社のサラリーマンだった父が突然退職しました。突然のことだったので子供ながらにとても驚いたことを今でも覚えています。そうして、父と母が高田馬場で新しく牛肉の問屋を始めることになったのが今の株式会社旭フーズの原点です。
父は「国産牛を広めたい」という思いがあって独立したのですが、父も母も家業で忙しく、夏休みの間、私は母の実家のある小樽で自然を満喫していましたね。海も畑も大好きでいつも夏休み終わりは「帰りたくない」と思っていました。

-今の旭フーズはお父様が始めた問屋さんが原点だったのですね。

当時は冷凍食品卸売業のニーズは決して高くありませんでしたが、居酒屋ブームもあり大手飲食チェーンの発展とともに、少しずつ事業拡大していきました。私は大学卒業後、将来の事業承継を見据えて、食材卸の会社に就職していたのですが、就職して半年後に、父が癌を患ったことから旭フーズに入社しました。
そのときに、入院中の父から経営者としての心構えが書かれた1冊のノートを受け取りました。ノートの中には「自分の目で見ることが正しい」「利益を出している事が社長業の正しさ、これしかない」といった内容のことが箇条書きでずら~っと書かれているのです(笑)。全部で100を超える項目ですから、20代の私にとってはとても大きなプレッシャーでしたし、経営者としての重みを感じました。
私とは仕事の話しかしない父でしたが、いざ自分が社長になってこのノートを読み返してみると少し気持ちが分かる気がします。「心を積極的に、考えを積極的に、行動を積極的に、健康を積極的に」という社訓もその時の父の教えが込められています。

食料品が整然と並べられた同社の倉庫

私たちの仕事の「やりがい」と「誇り」を失わないために。

-事業の承継はスムーズに行えたのでしょうか。

実は、会社に入社してからしばらくして体調を崩してしまいました。当社は父の強いリーダーシップのもと成長した会社でしたので、20代で会社に入社した私も早く従業員に認めてもらい、安心させたいという思いから無理を重ねたせいか、ついに体が動かなくなってしまったのです。
しばらく静養したおかげで、徐々にではありますが心身ともに回復し、体調を崩してから7年後に副社長として会社に復帰しました。その15年後の2021年、父から社長を引き継いでいた母から承継する形で社長に就任しました。

-コロナ禍で社長に就任されたのですね。たくさんのご苦労があったのではないでしょうか。

新型コロナにより、それまでの常識が一変しました。売上は最も厳しい月で前年比95%減となり、事業継続の危機にさらされました。加えて厳しかったのは、社員が仕事の「やりがい」や「誇り」も失いかねない状況に追い込まれたことでした。
私たちが食材をお届けする街の居酒屋さんでもコロナ禍で自粛や時短営業が続きました。私たちは卸売事業者なので消費者の方と直接接点を持つことはありませんが、食材を届けることで居酒屋を訪れるお客様の時間をより良いものにするためのお手伝いができていると思って仕事をしていました。これが全て吹き飛んでしまいました。

幅広いラインナップで地域の飲食店を支える

-そのような状況からどのように会社を建て直したのでしょうか。

社員にも参加してもらい、当社の強みや弱みを一度見直しました。生産地と消費者を結ぶことが我々の役割ですが、私たちの強みとして多くの取引先があることに気付きました。これまで卸として私たちが介在することで繋いでいた生産地と消費者の関係を直接結べないだろうかと考え、毎月月末に冷凍食品の即売会を始めました。既に20回を超え、生産地・消費者双方の皆様に大変喜んでいただいています。
また、当社の強みであるピッキングを活かして、社会福祉施設の配食業務を請け負うことができました。分ける・届けるは私たちの得意分野であり、この仕事により我々も「エッセンシャルワーカー」の一端を担える企業になったと思っています。“喜び”や“楽しさ”を支えるお仕事はもちろん、“生きる”を支えるお仕事にも携われるようになったことは、私たちにとって誇りであり、大きな意味を持つと思っています。

出荷指示に対して、高速かつ正確に仕分けることができるピッキング装置

災害時に私たちにできることは。

-地元の埼玉県日高市や、長野県千曲市とも災害協定を結ばれたと聞きました。

私たちは食品の流通の中間を担う卸売企業として、地域への貢献を考えたときに何ができるかを常に模索していました。東日本大震災も経験しており、従業員にも東北の出身者が多いです。
被災時に一個人として何もできない無力さを痛感する中、会社として災害時にできることがないかを検討した結果、扱っている多種多様な商品を被災地域に迅速に届けることができるのではないかと考えました。
協定締結により被災地域と私たちが繋がることで、全国から集まる支援物資を当社のピッキングで誤りなく迅速に必要とされている避難所等にお届けすることができます。災害は起きないことに越したことはないのですが、起きてしまったときに、私たちが普段から商品を届けている飲食店はもちろん、そこに集い楽しんでいただいている地域の皆様が少しでも安心できるように体制を整えていきたいです。

笑顔が絶えない会社を目指して。

-今後どのような会社にしていきたいですか。

笑顔が絶えない会社にしたいですね。社員全員を頬がつるくらい笑わせることが目標です。笑顔の源は何かと考えるとお金ももちろん大切なのですが、それだけではないと思っています。会社にいるといつも笑顔でいられるような、社員を常に楽しませる会社であり続けたいと思っています。
また、小学生のときに学校の先生に言われた「未来はいずれ過去になる」という言葉を常に心に留めています。当社は厳しい時期もありましたが社員全員で乗り越えましたし、未来に向かって一生懸命やってきたことが今に繋がっていますので、これからもやれることをやれる範囲でしっかりやっていきたいと考えています。

【企業情報】
 株式会社旭フーズ
 代表取締役社長 菊地 拓也(きくち たくや)
 埼玉県日高市馬引沢316-3

-編集後記-
インタビューをしている中で菊地社長の人柄にとても魅力を感じました。
コロナ禍で売上げが激減し事業継続の危機に陥ったときに、菊地社長の持ち前の明るさ・人柄もあって、前向きに事業を立て直したお話をお伺いしました。そこには、社員・技術・顧客とのネットワークなど自社の「知的資産」を大切にする社長の経営にかける優しく熱い想いがありました。

                          担当特派員 SK

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