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異業種とのコラボ!人脈を大切にした製造業の販路開拓。

経営者の情熱を発信していく“Project CAHIN”の第14弾。今回は神奈川県相模原市に本社を構え、航空機、産業用機械、半導体業界等に部品を供給する株式会社三差製作所(みさし・せいさくしょ)の三差康弘社長です。相模原工場と広島工場の2拠点において、難削材加工を強みに多品種少量生産で高精密な部品を国内基幹産業へ提供しています。同社は三差社長の祖父が創業し、今年で85年を迎える老舗企業です。三代目社長はどのような経験を通じて、どのような想いを持って仕事に向き合っているかお話を伺いました。

-幼少期や学生時代について教えてください。

幼い頃から父親にくっついて頻繁に工場を出入りしていました。それが影響したのか機械をいじることが大好きでしたね。芸術系の大学に通っていて、映画業界に進もうと思った時期もあったのですが、その頃からオートバイに乗り始め、自分でメンテナンスを行ったり、鈴鹿サーキットまで走りに行ったりするなど、機械が好きなのだと再認識したこともあり、オートバイの専門店に就職し、メンテナンスなど整備関係の仕事を約3年間していました。

-三差製作所へ入社したのはその後ですか。入社後はどのような業務に携わりましたか。

25歳で入社しました。当時は父が社長で、父の弟が経理に1人、工場に2人いる「ザ・ファミリー企業」でした。若い頃は、全国にある取引先(プラントの組立やメンテナンス)に同行し産業機械について学び、当社の広島工場でも5年ほど勤務しました。この期間は現場をしっかり学んだ大切な期間でした。広島から本社に戻った時には、営業兼工程管理を担い現場の責任者として働いていました。40歳前後で航空機部門の売上改善に向けて、再び広島へ行くよう父から言われ、営業力を磨きました。ここで顧客との繋がりを構築できましたし、売上も数倍に伸びました。その後は、経理も担当しました。経理は全くの未経験だったので夜に予備校で2~3時間簿記を学んだり、お金を借りることへのイメージが全くできなかったので、決算書を読めるように勉強したりしていました。

-社長に就任されるまでに製造現場、営業、経理などといった主要部門を目まぐるしくご経験されてきたのですね。

製造現場、営業、経理、そして経営と一通り経験した今では、あらゆる分野における答えがわかるようになりました。社員からは「社長ならばどの分野についてもわかっている」と思われていてすぐに答えを求められます。
一方で、頼られるのは誇らしいことですが、そこが悩みでもあります。社員には、考えてチャレンジして欲しいですから「やってから『できない』と言いなさい。失敗しても私が謝りに行くから。」と伝えています。

経営は人脈を活かすことが大切。異業種にも「ものづくり」を通じたコミュニケーション!

-経営されている中で大切にしていることはありますか。

誠意と媚びないことを大切にしています。過去の話ですが、ある産業機械の取引先にはなかなか馬が合わなかった方がいらっしゃって、挨拶に行くと「お前は一番最後だ!」と言われるような状況が続いていました。
ところが、ある会合の際に改めて話す機会があり、私自身の考えや想いを懇々と説明しました。すると、私の思いが伝わり「お前の会社を見に行くぞ」と仰られ、後日当社をご案内しました。
それからは定期的に仕事をいただけるようになり、今では数か月に一度お会いする間柄になりました。私は恵まれているのかもしれませんが、誠意を持って、媚びることなく話をするということを貫いた結果、このような良いご縁を得られています。

-そういった姿勢が85年続く秘訣なのでしょうか。

そうかもしれませんが、私は取引先との関係性、人脈作りを最も大切にしています。祖父と父が当社と取引先とのパイプを作ってくれていたことはとても大きいです。私は先代が作ってくれた取引先との関係を深めていく努力を続けています。
同時に、取引先と大手企業を繋げる橋渡し役も担うほか、車や釣りのプロ選手とスポンサーとしての関わりを持つなど、新たな人脈作りにも努力しています。当社の強みを活かした部品加工の仕事に繋がるとよりいいサイクルが生まれますし、社名がデザインされた車が出走するレースを福利厚生の一環として観戦することで、社員のモチベーションに繋がればと考えています。

工場内は整理整頓され、多品種少量生産を可能としている

-スポンサーという視点はおもしろいですね。人脈を活かした例は他にもありますか?

経営は人脈がすべてだと思っています。取引先や社員もそうですが、金融機関など当社に関係する方々は大切にしています。特に異業種の方との人脈は大切です。
過去には、某有名ミュージシャンのマイクスタンドを作ったことがありますし、舞台照明をデザインする方ともお話をする予定があります。こういった異業種の方々は、製造業との繋がりがないので、「これを作ってほしい」という時に、どこに相談したらいいのか困っているケースがよくあります。ある航空会社とは機体の廃材を使ってアクセサリーを作り、販売することを検討しています。これは海外のエアショウで出会ったフランス人デザイナーが航空会社にアクセサリーを作ろうと企画を持ち込み、製造先を探すとなった時に当社に声がかかったのがきっかけです。
どの話も人脈がなければ生まれませんでした。ものづくりのスキルや知識が有っても人と繋がらないと仕事には結びつきません。心が繋がる人脈づくりをしていたからこそ様々な話がいただけているのだと思います。

若者が「働きたい!」と言ってくれる製造業を作っていきたい。

-今後、目指していることを教えてください。

若者が抱いている製造業のイメージ「3K」を払拭したいですね。
私は、日本のものづくりは衰退しない、衰退させてはいけないと思っていますので、若者を呼び込むため、彼らに製造業で働きたいと思って貰えることが重要です。例えば、今の製造業の現場に欠かせない機械を動かすにはプログラマーが必要なわけですが、昔ながらの技術を残しつつプログラマーがかっこよく活躍するという、新しい製造業のイメージを作れると製造業で仕事をしたいと思う人は増えると考えています。
そのためには環境づくりや人材育成制度を整える必要がありますね。私は、若者の確保に加えて、父が成し遂げられなかった売上目標を達成して会社を大きくするとともに当社が100年続く長寿企業となることを目指して努力していきます。

2021年に新設された相模原工場。スタイリッシュな外観

【企業情報】
 株式会社三差製作所
 代表取締役社長 三差 康弘(みさし やすひろ)
 神奈川県相模原市中央区田名4008‐1

-編集後記-
コロナ前まで順調な経営を続けていましたが、航空機分野を主力の1つとしていた同社は苦境に立たされました。かなりのご苦労をされましたよね?と聞いても「私はなにも苦労していないですよ。自分は恵まれている」と何度も答えていました。三差社長は現実を受け入れ、未来に向けて何をすべきかを常に考える人だと思いました。「常に前を向く姿勢」が習慣化されていることが、創業85年の三差製作所を支える根幹にあると感じました。
                            
                          担当特派員 KD