AIの活用で日本の一次産業に革命を起こしたい―第二の創業に向けて邁進する社長の挑戦!
倒産寸前の会社を承継。父のこだわりを守り、大ヒット商品を開発。
-幼少期から家業を継がれるイメージはあったのでしょうか。
正直、継ぐというイメージは全くありませんでした。父への反発心が強く、父が右と言ったら自分は左と言う、そんな子供でしたし、どちらかというと自分で起業したいと思っていました。大学も家業とは全く関係のない政治経済学部に進学しました。父も私の性格を分かっていたので、家業を継いでほしいと思っていたものの直接口には出さなかったようです。
-入社されるきっかけになった出来事について、教えてください。
大学時代に父が大病を患い、手術を受けたのですが、その時の執刀医に「あと3か月発見が遅かったら、助からなかったかもしれない。5年後も生存している確率は50%です。あなたのお父さんは会社を経営されています。家のことを含めてこれからよく考えてください。」と言われました。学生の私にとっては、非常に重い話でしたが、その時に初めて会社を継ぐ、ということが選択肢に入ってきました。「会社を継いで自分のやりたい方向にビジネスを変えていくといったこともありだな」と思い直し、事業承継した後の多角化経営を見据えて、当時多角化経営で成功を収めていた不動産会社に就職しました。その後、社会人2年目にミラック光学に入社しました。
-入社してから社長に就任するまで助走期間はあったのでしょうか。
父が病気のためフルタイムで働けなくなっていたので、入社してすぐ私が実質的な社長になりました。入社後、顧問税理士と帳簿を確認したところ、過剰債務で倒産寸前であることが判明しました。それを見たときは「とんでもないものを継いでしまった」と思いましたね。その後銀行に追加融資の打診をしたものの断られ、父を何とか説得して杉並区にあった工場・自宅などの資産をすべて売却し、八王子市に移転してゼロから再出発しました。
-その後、どのように会社を立て直したのですか。
製品がなかなか売れない中、弊社の顕微鏡などを業界紙の小さな広告に掲載したところ、ある企業から問合せがあり急いで製品を持っていきました。その際に、「よくできているね。こんな製品も作れない?」と相談がありましたが、先方が目を付けたのは顕微鏡ではなく、顕微鏡のピント合わせを行う機構部分(「アリ溝」による摺動機構)だったのです。
職人技の結晶とも言えるアリ溝のすり合わせ技術は、非常に手間がかかる作業なので、力を入れている企業は少なかったのですが、「人が面倒だと思う仕事こそ中小企業が生き残る道だ」と考え、その技術にフォーカスし、「アリ溝式※ステージ」という滑らかな摺動、高耐久性を有し正確な位置決めが可能となる新製品を開発しました。2000年の販売初年度は4機種350台/年しか売れませんでしたが、今では100機種18,000台/年を販売する大ヒット商品になりました。各種検査装置や機械に組み込まれたり、様々な製造現場で使用されています。実は、父がまだ会社にいた時に、「手間のかかるアリ溝式ではなく、時代の流れに合わせた製造方法の商品を作るべきだ。」と主張して、アリ溝式にこだわる父と何度も大喧嘩をしたのですが、結果的には父のこだわりを守ることで、弊社の軸となる看板商品を作り出すことができました。大切な技術をミラック光学に残してくれた父には感謝しかありません。
※「アリ溝式」とは同じ形状をした台形のオス側(突起)とメス側(溝)をはめ込み、滑らかにスライドできるようにした機構で、位置決めや各種検査等の場面で使用されている。
順調な時こそ次の一手を。ものづくり企業からトータルソリューション企業へと変貌
-大ヒット商品を生み出した後、新事業を立ち上げようと思ったのはなぜですか。
一度倒産寸前の状況を経験していたので、「業績が順調な時に早く次の一手を打たないと」という危機感でいっぱいでした。そうした時に出展した展示会の中で、とある外観検査装置のユーザーから「検査装置と聞くと、まるで100%に近い正誤判定ができるように思えるが、実際にはグレーゾーンの誤判定も多い」といった不満の声を聞きました。
また、同時期に、あるフリーのエンジニアと出会い、当時注目を集めていたAIに関する意見交換を行っていました。その2つの声を聞いた時に「AIを活用して誤判定の少ないソフトウェアを開発することができれば、弊社のものづくりと併せて、お客様にソフトとハード両方をご提供できるトータルソリューション企業に生まれ変われるのではないか。」と思い、AI開発に取り組み始めました。
-AIハヤブサを創業するまでの経緯を教えてください。
まず、AI先進地であったアメリカのシリコンバレーを視察しました。シリコンバレーでは沢山の刺激を受けましたし、今後はAIで時代が劇的に変わると確信しましたね。
その後、AI開発にいよいよ本腰を入れて取り組もうと考えていた時期に、システム情報科学を専門とする公立はこだて未来大学を訪問する機会がありました。その後、何度も大学に通い続けるうちに、AI研究の第一人者でもある松原 仁先生(現、公立はこだて未来大学 特命教授)と出会い、そこからAI開発が加速していきました。2017年には私と松原先生が共同出資して、AIと画像処理技術を融合したソフトを開発する(株)AIハヤブサを設立しました。
開発当初は、AIブームも相まって問い合わせは多くいただきましたが、正式受注には至りませんでした。そこで、まずはお客様に対して、AIを導入したらどのくらい作業効率が改善するかを提示して、理解を得ることから始めました。現在では自動車部品の検査ラインなどの製造業をはじめ、農業や漁業にもAI検査システムを提供しています。
-AI開発に取り組むと伝えたとき、社員の皆さんはどのような反応だったのでしょうか。
社員のほとんどは、困惑していましたね。「社長が突拍子もないことを言い始めた」と思った人もいたでしょう。そこで社員には、AI開発といってもこれまでの事業と無関係のものではなく、むしろこれまでの光学機器製造の知見を活かせる延長線上の事業であること、また核となる技術を基に多角化経営を進め成長し続けている企業を例に出し、変化を恐れず挑戦していくものだけが生き残れる、と時間をかけて丁寧に説明していきました。
-直近で開発されたサービスについて、教えてください。
最近では、畜産業向けのサービスを開発しました。濃厚で美味しい卵を生産するために鶏を平飼い・放し飼いをしている養鶏場に、弊社のワイヤー移動式AIカメラを設置、鶏の個体を識別し、鶏ごとにどれくらい餌を食べたか、どれくらい運動しているかなどを計測することによって、鶏の健康状態を即座に解析することができるサービスです。このサービスを導入することで養鶏農家さんは、より品質の高い卵を提供することが可能になります。
八王子の“Hidden champion”、一次産業の複合化を目指して
-経営で大事にされていることは何ですか。
1点目は人との出会いです。振り返ってみるとアリ溝式ステージの開発や、AIの開発等、ミラック光学の分岐点には、キーパーソンとなる様々な人との出会いがあり、その人が何気なく言った言葉が商品開発に繋がったということもあります。人との出会い・縁は今後も大切にしていきたいです。
2点目は、こだわりを持つことです。会社を経営していくためには、何か一つ軸を持つことが大事になると思いますが、軸を持つためにはこだわりを持って取り組む必要があると考えています。弊社の場合は、アリ溝式ステージが最初のこだわり・軸ですね。こだわりを持ち続け、現状に満足せず常に新しいことにチャレンジしていきたいです。
-今後の目標を教えてください。
ものづくりに関しては、「アリ溝式ステージの製品は、ミラック光学にまず相談しないと」と言われるような、八王子の“Hidden champion”(一般的な知名度は高くないが、ある分野において、非常に優れた実績・きわめて高い市場シェアを持つ会社)になりたいと思っています。アリ溝式ステージの開発で培ってきた職人技・匠の技を絶やさず、弊社の製品が世界でも評価を受けられるようなものづくりを追求していきたいです。
また、AIを活用して日本の一次産業に革命を起こしていきたいと思っています。日本の食料自給率は世界的にみても非常に低い上に、例えば(株)AIハヤブサがある北海道の道南地区は、10年後に一次産業の担い手が半分になると言われており、一次産業をどうにかしなければいけないという強い使命感があります。今後、担い手が少なくなっていく中で、農業と陸上養殖や、農業と畜産といった掛け合わせが必要になってくると思いますが、既に弊社はAIを活用した複合化に関する特許を取得していますので、複合的な仕組みを作り、日本の一次産業を支えていきたいです。
【企業情報】
株式会社ミラック光学
代表取締役 村松 洋明(むらまつ ひろあき)
東京都八王子市松木34-24
【企業情報】
株式会社AIハヤブサ
代表取締役 村松 洋明(むらまつ ひろあき)
北海道函館市桔梗町379番地32