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人とモノとコトを心地よい関係でつなぎたい。

経営者の情熱を発信していく“Project CHAIN”の第34弾。今回は埼玉県越谷市に本社を構える中島プレス工業有限会社の小松崎いずみ(こまつざき いずみ)社長です。同社は、1971年の創業以来、電子部品パッキン材の加工を主軸として事業展開してきました。2代目である小松崎いずみ社長は2003年、35歳の時に社長に就任しましたが、2007年に火事で事務所が全焼、2008年にはリーマンショックが襲い、会社存続の危機に陥りました。しかしどん底の中でも果敢に自社製品の開発にチャレンジされ、会社を発展に導きました。「できることは何でもやる!」今もなおチャレンジを続ける小松崎社長に迫りました。

母を助けたい、その一心で入社、そして社長に

-会社を継がれたきっかけは何ですか。

小さなころから工場に出入りはしていましたが、高校卒業後は一般企業に就職したこともあり、まさか会社を継ぐとは思っていませんでした。元々会社は父が社長で、父の兄弟が専務、そして母も工場の作業を手伝いながら経理を担当していました。母は私が小学4年生の時から祖父の在宅介護もしており、本当に大変そうでした。両親と家族旅行が出来たのはたった一度きりです。
そんな母から、「経理を手伝ってほしい」と声をかけられ、助けてあげたいと思い、会社に入ったことが最初のきっかけでした。まずは経理から始めましたが、そのうち製造もやり始め、気が付いたら会社の全てに関わるようになっていました。すると取引先から会社を継いだらどうかと後押しがあり、35歳で社長に就任することになったのです。

-仕事と育児の両立に苦労されたのではないでしょうか。

入社した時、私は妊娠中で、出産後は子育てをしながら仕事を続けてきました。会社には私と同じように子育てしながら働く女性従業員が多く、大変さが分かるからこそ何とかしたいと思い、働きやすい環境整備を進めました。
例えば小さなお子さんがいるご家庭には内職ができるよう、材料を配達したり完成品を回収する仕組みを整えたり、小学生のお子さんがいる従業員は勤務時間を流動的にするなどの取組を進めてきました。働きたいときに働ける、今でいうフレックスタイム制度を早くから整備していました。なかには、内職として働いていた方が、お子さんが小学生になって時間ができたので、パートとして働きたいと申し出てくれたこともありました。
こうしたアイディアは私だけで考えたのではなく、働きたいという意思を受け入れ、どんな方法で何ができるのかを従業員と一緒に考え実現できたものです。特に、男性従業員の理解が無ければ実現できなかったことなので、皆に感謝しています。

インタビューに答える小松崎社長。製品が生まれるまでの想いを楽しそうに語っていただきました。

会社存続の危機。どん底でも湧き出たアイディア

-逆境のなかでも立ち向かっていく社長のモチベーションは何ですか。

リーマンショックは本当に辛かったです。会社を継続するために、2つあった工場の1つを閉めざるを得ませんでした。ただ、「社員の雇用は何としても守る」という想いから、会社をたたもうとは思いませんでした。それまでは当社の業務は下請けが中心でしたが、もし下請けの仕事が減ったら雇用を守ることができないと考え、自社製品開発にチャレンジし、経営の多角化を目指そうと決断しました。
そこで生まれたのが創業以来の電子部品のパッキン材製造で培った、柔らかい素材の加工技術とそのノウハウを活かして開発した「おくり鳩」。「おくり鳩」は、故人へのメッセージをしたため、天国へお見送りするための製品です。
本製品は、形状記憶不織布で折られた鳩で、折り目を解いてもすぐに元の鳩のカタチに戻ります。折りたたまれ見えなくなる部分にメッセージを書き込んで使用するものです。コロナ禍では、大型ショッピングモールの七夕まつりイベントで「折り鶴」として子どもたちに祈りごとを書いてもらうなど、色々な場面で活用され始めています。

はばたく中小企業・小規模事業者300社受賞盾とおくり鳩

-小松崎さんにとって「おくり鳩」はどんな存在ですか。

おくり鳩は新たな関係を生み出し、新しいストーリーを生み出してくれた、かけがえのない存在です。おくり鳩の開発をきっかけに、葬儀業界との関係ができました。葬儀業界の方々は特に人に対する想いが強く、どんな場面でも、人を大切に向き合う姿勢に大きな学びをいただきました。私が働きやすい環境整備を進めてこられたのも、人を大切にしたい想いからでした。
また、おくり鳩が繋いでくれたご縁で、5年程前から東京観光専門学校との関係もできました。この学校は葬儀専門学科があり、授業の一環でおくり鳩の新たな使い方を学生に提案してもらっています。最近感心した提案で、バスボムの中に、小さなおくり鳩をいれたらどうかというものがありました。葬儀が終わったあと、遺族の方がご自宅でお風呂に入って1人きりになったとき、不意に悲しみが襲うことがあります。そんなときに、心身をあたため寄り添いたいという想いから生まれたのだそうです。
さらに、大丸東京店10階の呉服「和ぎゃらりい」さんでは、喪中見舞いでお線香を贈る時に添えるメッセージカードとしておくり鳩を使うという新たなご提案をいただきました。お話をいただいた時は本当に嬉しかったです。どれも製品を作った時には思いつかなかった、新たなストーリーです。

東京観光専門学校からの提案にアイディアを膨らませる小松崎社長(上段)
学生から提案のあったバスボム(下段・左)
大丸東京店10階の呉服「和ぎゃらりい」さんで展示されている「おくり鳩」(下段・中央)
大型ショッピングモールの七夕まつりイベントでの様子(下段・右)
写真提供:中島プレス工業有限会社

古き良きものを残し、変えるべきところを明確に

-人と人がつながり、良い関係を構築するための極意を教えてください。

私は、中小企業だからとあきらめないこと、そして持っているノウハウを新規の相手先でも惜しみなく提供することではないかと考えています。
自社がもつ不織布の形状記憶加工を応用してできた「ORU-KOTO」という製品(不織布に折り方を形状記憶させた立体型の教本)があります。昨年ある見本市に出展した際、「ORU-KOTO」の技術を使って画期的なデザインのバレンタインチョコの包装紙を作れないかと、静岡県にある時之栖「チョコレート工房Normandie Chocolat」さんから依頼をいただきました。バレンタインチョコの包装紙をつくること自体が初めてでしたし、デザインをどのように再現していくかが悩みどころでした。ただデザインを再現するだけではなく、作業性なども考慮し私からも提案を行い、一緒になって意見を出し合いながら開発しました。出来上がった包装紙はチョコをお花に見立て、ブーケのようにチョコを包む斬新なものです。大手百貨店のバイヤーおすすめ商品に選ばれたり、雑誌などのメディアにも取り上げられたりと、反響が大きく、大変嬉しかったです。今年は新色も発表されます。

柔らかい素材に関する加工技術の応用で生まれた「ORU KOTO 」(上段)
「北鎌倉galleryえにし」にて「ORU-KOTO」で人とのつながりを作るワークショップの模様(下段・左)
時之栖「チョコレート工房Normandie Chocolat」バレンタインチョコ2023(下段・右)
写真提供:中島プレス工業有限会社

-経営者として大切にしていること、意識していることはありますか。

先が見通しにくい時代だからこそ、会社を残し社員を守るために、やれることは全部やると決めています。「古き良きものを残し変えるべきところを明確に」私が大切にしている言葉です。今まで取り組んできた仕事は太くなるよう、古き良き関係は大切に。そして、新しい仕事にチャレンジできるよう、変えるべきことは明確に変えています。
息子が専務として会社に入ってくれており、会社のDX化等、変えるべきことを進めてくれています。「変化」には苦労が伴います。また、新しい仕事を獲得するためには認証を取得することが必要な場合もあり、認証の取得には一定の基準をクリアすることが必要です。そうした苦労を伴う変化も、会社が変わるチャンスと捉えて取り組むことにしています。結果、その認証を取得したことが自社の強みとなり、新しい取引に繋がっています。
また、おくり鳩を見て、当社の加工技術はどういうものかを知っていただき取引に繋がっていることも多く、様々な関係を生み出し成長しています。社員はもちろん、取引先、地域の方、様々な人との関係を大切にしながら、成長し続けたいと思います。

【企業概要】
中島プレス工業有限会社
代表取締役社長 小松崎いずみ(こまつざき いずみ)
埼玉県越谷市増森2544

-編集後記-
小松崎社長へのインタビューをしている中で、挑戦の根本には「ヒトもココロもバズらせる!!」との言葉をお聞きして感銘を受けました。
仕事を進める上で、自らで限界を決めず、できることは全部やる、新たな可能性に挑戦し続けることがいかに大切であることを改めて感じました。
                          担当特派員 HN