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パンで世界中の困っている人々を救いたい。町のパン屋さんの飽くなき挑戦。

経営者の情熱を発信する“Project CHAIN”第31弾。
今回は、栃木県那須塩原市でパンの販売店を手がけながら、世界中にパンの缶詰を届ける、株式会社パン・アキモトの秋元義彦(あきもと よしひこ)会長です。
秋元会長は、阪神・淡路大震災で食糧支援として届けたパンが日持ちせず傷んでしまった経験から、被災地でも日持ちして、美味しいパンを食べることができる、パンの缶詰を開発しました。また、フードロス対策として、備蓄食料としてのパンの缶詰を賞味期限が切れる前に回収し、被災地や発展途上国に届ける「救缶鳥プロジェクト」を構築して注目を集めています。
秋元会長のエネルギーの源泉、社会貢献への思いについて伺いました。

墜落事故から生き残った父から受け継いだ社会貢献への思い

―秋元会長の幼少期や学生時代について教えてください

幼少期から家の手伝いで、パンを並べたりしていました。小学校4年生の時、自転車を買ってもらって嬉しかったのですが、近くの工場にパンを届ける仕事も与えられてしまいました。秋元と仲良くすると残ったパンがもらえる、ということで友達がたくさんできましたね(笑)。
両親がクリスチャンだったこともあり、大学時代はクリスチャンホームという地方出身のクリスチャンの集まりに所属しており、アメリカ人宣教師の元で、週に2時間キリスト教の勉強をしていました。
夏休みは、宣教師の帰郷に合わせてアメリカに行き、ホームステイをしていました。アメリカは、困っている人を助ける、寄付を重んじる文化があります。留学を経て「困っている人を助けたい」という思いが私の中で育まれました。

終始笑顔で経験を語ってくださった秋元会長。

―家業を継ぐことになったきっかけは何だったのでしょうか

高校生までは、全く家業を継ぐつもりはありませんでした。記者かパイロットになりたいという夢があり、家業を継ぐことにはかなり抵抗しましたが、祖母から「長男は継ぐもの」と言われ、鶴の一声でしぶしぶ継ぐことになってしまいました。
それでも記者やパイロットへの憧れは今も変わらず、パン屋を営みながら、新聞社で嘱託職員として働いて記事を書いたり、数年前にはパラグライダーのライセンス取得にも挑戦しました。結局ライセンスは取れなかったので、タンデム(パイロットと一緒に飛ぶ二人乗りパラグライダー)を楽しんでいます。
父からは家業を継ぐ前にアメリカでパン職人を目指せる大学へ留学するか、国内の別のパン屋で修行してこいと言われ、大学卒業後、都内のパン屋で見習いをしました。当時は週休1日の時代で、かつ長時間労働が当たり前の業態でしたのでパン屋になんて絶対なりたくないと思いましたね。ただ、パン屋の息子ということもあり、周りの見習いより何をやってもできてしまったので、優越感もあってだんだんパン作りが楽しくなっていきました(笑)。

―先代(お父様)は秋元会長にとってどんな存在でしたか

父は戦時中、無線通信士として活躍していましたが、昭和13年に乗っていた航空機が事故にあってしまいます。1年くらい入退院を繰り返しましたが、九死に一生を得た父は、生き残ったからには社会の役に立たなければならないと思い、戦後の混乱期に地元の人たちの空腹を満たすため、パン屋を開業しました。
私は、無線通信士として空を飛び回り、命をかけて人を救っていた父のことを尊敬していましたし、そんな父の話を聞いていたので、空への憧れもありました。結局パイロットの夢は叶いませんでしたが、父の自己犠牲の精神や社会貢献への思いを引き継いでいきたいとも思いました。

種類豊富なパンが立ち並ぶ「石窯パン工房きむらぎ」には、連日多くのお客様が押し寄せます。(画像提供:株式会社パン・アキモト)

社会貢献への思いは、息子へ、社員へ受け継がれていく

―救缶鳥プロジェクトが生まれたきっかけを教えてください

パンの缶詰は、阪神・淡路大震災の際に食糧支援として届けたパンが傷んで廃棄せざるをえなかったこと、そして被災者の方々から「柔らかくて日持ちするパンがほしい」という声から開発したものでした。備蓄用として販売していましたので、賞味期限が切れると捨てられていました。備蓄用なので食べる機会がない方が良いとは理解しているものの、自分たちでせっかく製造したパンが捨てられてしまうのは、大変心が痛むものなんですよ。

転機となったのはスマトラ島沖で地震が発生した時に、「とにかく食糧が足りないから、中古でいいからパンの缶詰を送ってくれ」と言われたことでした。国内では中古の食品を配布することが受け入れられず、反発を受けた経験もありますが、海外であれば、賞味期限が近いパンの缶詰でも必要としてくれる人たちがいると気づきました。

それから、パンの缶詰を賞味期限が切れる前に回収し、被災地や発展途上国に届ける仕組みを作りました。この取組はニュービジネス協議会(当時)の仲間によって「救缶鳥」と名付けられました。「救缶鳥」が誕生した2009年9月9日を記念して、9月9日は「救缶鳥の日」として認定もされています。

救缶鳥は、賞味期限3年半で、2年半後に回収し、被災地や発展途上国に届けられます。味はオレンジ・ストロベリー・ブルーベリーの3種類。(画像提供:株式会社パン・アキモト)

―救缶鳥を発展途上国に届ける際に、運動靴を一緒に送ったりもしているそうですが、どのような経緯で始めたのですか

救缶鳥をアフリカに届ける際に、息子が現地に同行したことがありました。息子は小さい頃からサッカー少年で、サッカーは言葉が通じなくても、ボールが1個あれば会話ができるのですよね。現地の子供たちと一緒にサッカーをする中で、現地の子供たちは裸足でサッカーをするのでよく怪我をすることに気づきました。そこで、現地の子供たちに今一番何が欲しいか尋ねたところ、「靴が欲しい」と答えたそうです。

その話を受けて、できる範囲で支援したいと思い、地元の小学校に声をかけて中古の靴を集めました。最近の日本では履かなくなった靴を譲るということはあまりなく、子供の成長により履けなくなった靴はすぐに捨てられてしまうことが多いです。メディアに「SDGsのために学校でできること」ということで取組を取り上げてもらい、たくさんの靴が集まるようになりました。今では年に4回、発展途上国の子供たちに運動靴を届けています。

―仕事をする上で大事にしていることや社会貢献への思いについて教えてください

講演の場でもよく話をしますが、21世紀における良い会社の条件は、まず儲けないとダメ。そして社会貢献もしないと認められないと考えています。
近年消費者の意識は変わってきており、同じものを買うならエシカル商品(環境への配慮、人への配慮、社会への配慮を大切にして作られた商品のこと)を選ぶ消費者が増えてきています。選ばれる商品を提供していかないといけないですよね。
“何かいいことをしている企業”と思ってもらえると、その企業は後で応援を得られるものです。結果としてそういう企業が生き残っていくので、自社のみならず、社会貢献の意識が高まっていくといいなと考えています。

当社では、コロナ禍に客足が途絶えてしまいましたが、お店を閉めることはせず、作ったパンを、近隣の医療機関でコロナ対応に従事する医療従事者へ届けていました。この取組は従業員のモチベーション向上にもつながりましたし、コロナが少し落ち着いた際、届けたパンを食べた看護師さんたちがお礼と共にパンを買いに来てくれた時の嬉しさは今でも忘れません。
「本業を大切にしながら、社会に還元する」という意識で、我々に何ができるか常に考えながら、社会貢献を続けていきたいです。

フィリピンの子供にパンの缶詰を手渡しする秋元会長(画像提供:株式会社パン・アキモト)

パンの缶詰を世界中の困っている人々に

―今後取り組んでいきたいことや夢はありますか

「救缶鳥プロジェクト」をもっと多くの方に知っていただき、より多くの方々にプロジェクトへ参画いただきたいです。自治体へは積極的に周知していますが、官公庁だと取得した財産を期限到来前に譲渡するのはいかがなものか?という議論に陥ってしまいがちです。
そこで、災害用備蓄食品のリースができないかシステムの研究をしています。災害等が起こった場合は処分できるといった所有権移転の特約を付けてリース契約ができると自治体も導入しやすくなるのでないかと。国や自治体が率先して導入できるようにしていきたいですね。

また、救缶鳥は賞味期限の半年前までに返却いただくことになっていますが、どうしても、一定数諸事情で遅れてしまうものがあります。賞味期限が近いパンは海外に送ることができないので、フードバンクを通じて福祉施設等に寄付するなど、パンを一つも無駄にしないようにしています。災害や飢餓の問題は日本だけの話ではないので、世界各地で柔軟な寄付活動をするため、海外でもパンの缶詰を作りたいと考え、ロサンゼルスやサンフランシスコで試作をしているところです。
社名「パン・アキモト」の『パン』には、『汎(広く全体に行き渡る)』の意味も込められているんです。なんとか実現させたいと思っています。

事務所前には巨大缶詰が。同社のパンの缶詰は、2009年、スペースシャトル ディスカバリー号に積載され宇宙にも飛び立っています。

【企業概要】
 株式会社パン・アキモト
 代表取締役 秋元信彦
 取締役会長 秋元義彦
 栃木県那須塩原市東小屋295-4

―編集後記―
柔軟な思考で常に新しい社会貢献の在り方を考えている秋元会長。その膨大なエネルギーは、確かに後継者に、そして社員に伝わっているように見受けられました。
「良い行いは巡り巡って自分に返ってくる」という秋元会長の教えを、私も肝に銘じたいと思います。
                          派遣特派員 KN


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