「お菓子を通して社会へ笑顔を届けたい」目指すのは「人に優しく危機に強い会社」~厳選した品揃えで地元川越から和菓子業界の常識を打ち破る!!~
専業主婦から突然の承継、支えてくれた家族と社員
-会社を承継されることは、社長ご自身の中で、いつ頃から意識していらっしゃったのですか。
住居と会社が一体で、仕事を手伝うのは当たり前の環境で育ってきました。年子の姉と2人のいとこも同じ家で暮らしていて男手が多かったこともあり、当時はまさか自分が会社を継ぐなんて思いもしませんでした。しかし、社長であった父が病気になったことがきっかけで、私に打診がありました。当時私は37歳で、子育ての合間に会社を手伝うことはありましたが、専業主婦としてそれまでの約13年間は子育てに専念していましたので、急転直下でいきなり社長就任となりました。
父の言葉は絶対という環境で育ってきましたので、もう覚悟を決めてやるしかない!といった状況でした。
-長い間専業主婦であった方が承継を決断するのは簡単ではなかったと思います。踏み切れたきっかけを教えてください。
打診があってから「君ならできる、何でもできるよ」と主人がずっと背中を押し続けてくれたことが大きいです。主人は私が結婚する前に働いていた会社の同僚で、我が家の家業とは全く異なる家庭環境で育った人です。私は休みなく働く父を見て育ったので、土日が休みの人と結婚して温かい家庭を作るのが夢でした。そんな夢を叶えてくれて、私が全幅の信頼を寄せている主人がそこまで言ってくれるならと覚悟を決め、決断することができました。主人は「世界中の人が敵になったとしても、主人だけは味方してくれる」と想わせてくれる器の大きな人で、常に力になってくれています。
「0から1」を生み出す創業者のお父様から受け継いだ、「1」をコツコツ育てる経営とは
-急な承継で、悩むこともたくさんあったと思います。お父様とご自身の経営スタイルの違いはどのように考えておられますか?
父は「0から1」を生み出していくパワーを持った人でした。私はその真逆で、「0から1」を生み出すことはできませんが、父が生みだした「1」を、コツコツと社員と共に育てていくのは得意なようです。承継間もない頃は父が会長として引き続き経営に参画していたのですが、2人が同じタイプだったらおそらく上手くいっていなかったと思いますし、今思えば、良いコンビだったのではないかと思います。
-町田社長が経営する上で大事に思っていることを教えてください。
やはり大事なのは「人」です。私自身は家業で常に忙しい家庭で育ったので、父や母の愛情を一身に受けて…という経験はありません。だからこそ、人に愛されたいという欲求が強いのですが、同じ分だけ人を愛したいという想いも自身のルーツにあると感じます。
おかげさまで、会社を家族のように感じてくれる従業員が多く、いつも助けられています。
東日本大震災直後の計画停電の際に、材料はあっても製造ができない状況に陥りました。その時、従業員から「計画停電のない夜勤で製造させて欲しい。」と申し出があり、窮地を脱することができました。その状況が一月ほど続いた頃に再度従業員から話があると会議室へ呼ばれました。「やはり夜勤は大変なので元に戻したい」とか「もう辞めさせてもらいたい」といった話かと思い、緊張しながら会議室へ行きました。すると「社長、大変な時期ですよね。私たちの給与をどうか下げてください。」といった話をしてくれたのです。彼らがそこまで会社のことを考えてくれていたことに本当に心の底から嬉しく思ったことを覚えています。
大地の恵みがギュッと詰まった素材の旨さを届けたい
-主力商品である「いも恋まんじゅう」ですが、定番商品として育てるためにどのような努力があったのでしょうか。
社長就任当時はまだまだ「いも恋まんじゅう」の認知度も低く、一人で元旦から成田山別院の参道で蒸し器一つ持って試食販売したこともありました。お客様から手に取って戴くためには、とにかくその味を知ってもらうしかない!との想いのもと、徹底して「試食」を大切にしていました。おかげ様で今では、「いも恋まんじゅう」の認知度も少しは上がったように思います。
また、より一層素材の美味しさを伝えたい想いで、主にさつま芋は品質管理を徹底したBMW(バクテリア、ミネラル、ウォーター)農法により紅東を育てる茨城の契約農家さんから仕入れることにしました。
「型にはまらないでいい、こうでないといけないということは無い」思い通りにならない子育てを経験して見えてきた気付き
-約13年の専業主婦時代のご経験が経営に活かされていますか。
専業主婦時代に、思い通りにならない子育てを経験して「型にはまらないでいい、こうでなければダメということは無い」と気付いたことは今に活きていると思います。例えば菓子業界だと多品種少ロットが業界の常識ですが、当社は商品構成を絞っており極端に品数が少ないです。品数こそが正義といった和菓子業界の常識は一切考えておりません。それが利益体質でいられる秘訣かもしれません。
-確かに店舗を拝見すると、品数が少ないが故に、一つひとつの商品が引き立っていますね。
少ないアイテム数ですが、例えば川越ルミネ店では季節のフルーツ大福などの生菓子、菓子屋横丁店では作り立てのわらび餅、時の鐘店では人気の恋ソフト、一番街店では芋おこわというように、店舗によってその店舗でなければ味わえない商品を取りそろえて特徴を出しています。
また店舗内で商品同士が競合しないように商品開発しております。一つの商品を深掘りし素材そのものの良さを伝えたい、こだわりをもった原材料で作りたいと突き詰めた結果が現在の「いも恋まんじゅう」に繋がっています。
品数を絞って一つの商品を追求するといった独自の道を歩んでいくことが、結果として、従業員の雇用を守る強い会社と美味しいお菓子で笑顔溢れる地域社会に繋がると信じています。
「社員を路頭に迷わせてはいけない、強い会社を目指す」コロナ禍でより一層強くなった想いとは
-今後の目標や社長の思い描く未来をお聞かせいただけますか。
オリンピックのインバウンド需要を見込んで新工場を建設したと同時にコロナ禍に見舞われました。売り上げが落ちる中、それまで観光需要など広域商圏しかみていなかったことに気付かされました。「強い会社にしないといけない。再びコロナ禍のようなことが起こった際に従業員を路頭に迷わせてはいけない。」という想いが一層強くなり、2024年4月に工場の一部を改装し、地域密着型店舗をオープンしました。新店舗はガラス越しに製造現場を見学して、臨場感を味わっていただきながら、大地の恵みが詰まった出来たてのお菓子を楽しんでいただける造りにしています。
ゆくゆくは、会員制のさつまいも畑を作るのが夢です。お客様が育て、掘ったさつまいもから生まれたお菓子を食べることができるような食育の一連の流れを実現できる場にしたいと思っています。結局のところ、「0から1」を生み出す父の血が私にも巡っているなと感じますね(笑)。
【企業情報】
株式会社右門
代表取締役 町田 明美(まちだ あけみ)
埼玉県川越市石田120