「ナマステ!」スパイスを愛し、地域から愛される親子の物語
「はい、出来ます!」の気持ちを大切に byマハラジャの会長
-井上スパイスを起業しようと思った経緯を教えてください。
和人会長:実家で唐辛子を栽培していたこともあり、小さい頃から辛いもの好きでした。その影響もあって自然とスパイスに興味が湧き、業務用のスパイス製造会社に就職しました。その中で、より多くの方々にスパイスの魅力を伝えたい、食卓のテーブルに近いスパイスを作りたいと思うようになりました。そこで、少量かつ安価な家庭用のスパイス商品を作るために起業したのです。
-和人会長のターバンのお姿は一際目を引きますが、何かきっかけがあったのでしょうか。
剛社長:この話は長いですよ(笑)。
和人会長:経営者向けの研修会に参加した時に、とある方から面白い話を聞きました。それは、「関西商人」が関東へ行くとビジネスに成功し、「関東商人」が関西へ行くとビジネスに失敗するというものです。
「関西商人」「関東商人」の違いは、お客様の「捉え方」や「目線」にあります。「関西商人」はお客様を下から見上げ、より現場に近い視点でお客様の動きを察知し、そこにビジネスチャンスを見出します。そして、お客様のために何ができるかを考え、お客様の声に応えるために自ら動き、世にない商品やサービスを提供します。
一方「関東商人」はお客様を上から見下ろすようにお客様の動向を伺い、売れているものがあればマネをして取り入れますが、自らお客様のために汗をかいて新しい挑戦をしようとはしません。関西の企業が、カレールゥやインスタントラーメンを生み出して成功を収めた後に、関東の企業が追随したというのが一例です。
これを聞いて「関西商人」の考えにとても共感し、私は「関西商人」になります!と宣言しました。しかしその方から「関西商人」になるためには相当な覚悟が必要だぞ、あなた「アホ」になれるのか?と問われました。「関西商人」を体現するためには、プライドを捨て「アホ」になることが大切だというのです。「アホ」になると面白がってお客様が寄ってきます。するとお客様から愚痴や悩みを引き出すことが出来るようになり、あとは解決に向けて即行動するのみです。
でも正直、「アホ」になることへの恥ずかしさもあり、しばらく悩みました。しかし、もうやるしかありません。腹を決め、真っ赤なターバンと衣装を購入!ついに私はマハラジャになりました(笑)。
-「マハラジャ」になったお父様のお姿は、剛社長にはどのように写っていましたか。
剛社長:「嫌だな~」とか、「辞めてくれ!」とは思わなかったです。会長の「マハラジャ」のキャラクターのお陰でメディアにも取り上げていただけますし、むしろ感謝しています。今後も当社の宣伝広告塔として活躍を願っています。
1つだけ困るのは、私がいつ「マハラジャ」を引き継ぐのかと聞かれることです。「マハラジャ」は会長のものなので、私は私なりのやり方でその想いを引き継ぎたいと思っています。
-「関西商人」のお話もありましたが、和人会長が経営者として心がけていることはありますか。
和人会長:「はい、出来ます!」の気持ちを大切にしています。私は、お客様から「この人は使える」と思っていただけることが重要だと考えていて、常にお客様のために出来ることを模索しています。だからこそ、先行きが見えないような難しいお願いも、「考える」よりも先に「即行動」を心がけています。
以前、蛙を使ったカレーの開発をお客様から依頼されたことがありました。蛙を使ったカレーは作った経験はありませんでしたが、「はい、出来ます!」と即答し、その後1週間で蛙カレーを完成させることができました。どんなことにも「はい、出来ます!」と答えることで、新しいチャレンジができます。そして、チャレンジの中で得た新たな知識や経験が会社の財産となり、次の仕事に繋げることが出来ると思っています。
剛社長:時々、その「はい、出来ます!」の言葉が私を悩ませることもありますが、それが当社のスタイルですし、出来る限りお客様のご要望にはお答えしたいと思っているので、大切にしていきたい考え方です。
苦労の先に見えた経営者としての自覚
-剛社長がお父様から社長を引き継がれた時のお話を聞かせてください。
剛社長:高校卒業後、食に関する仕事に就きたいと思っていたので、3年間はパン職人をしていました。その後、会社を手伝わないかと会長から話があり、当社の製造ラインで働くことになりました。学生時代から人前に立つことに苦手意識がありましたし、お手伝いという感覚が強かったので、当時は社長を継ぐなんて全く考えていませんでした。
ところが、当時唯一の営業担当だった方が当社を退職され、私が営業を担当することになりました。そこで初めて会長が取り組んできたことを深く知り、この会社を残していきたいと強く感じるようになったのです。また、この頃から会長の勧めで経営塾の勉強会に参加する機会も増え、社長を継ぐことを少しずつ意識し始めました。
営業担当になってから数年が経ち、会長や母から井上スパイス工業の社長になってほしいと打診を受けました。とはいえ打診を受けた直後は、人前に立つことへの苦手意識や会社を先導することへの不安が残っていたので、経営塾の先生に悩みを相談しました。すると先生から、「迷っているくらいなら社長にならない方がいい、迷っている社長の下で働く従業員が可哀想だ。」と喝を入れられ、ハッとしました。社長になると決断するのは相当な覚悟が必要でしたが、先生のお言葉もあり、最終的には「自分が社長をやります!」と会長や母に伝えました。
和人会長:ちなみに、社長の交代式は大宮の氷川神社で執り行いました。私ではなく、神様に誓って社長になる覚悟を決めてもらいました。
-責任あるポストをお父様から引き継ぎ、社長としての苦労も多かったのではないでしょうか。
剛社長:本当に大変でしたよ(笑)。これまでは会長の背中を見て行動すれば良かったのですが、社長に就任すると、従業員に的確に指示を出したり先を読んで行動したりすることがとても多くなりました。自分自身で物事を考えて行動することが苦手だった私にとっては、苦労が絶えませんでした。
それでも、会長がここまで築き上げてくれた会社を無くしてしまうのは勿体ないと感じていましたし、経営者同士の勉強会で色々な経験をしたことで、何とかその苦難を乗り越えることが出来ました。
-様々な苦労を乗り越えて現在に至ると思いますが、剛社長が経営者として意識していることはありますか。
剛社長:ありがたいことに、当社のお取引先様とは非常に良好な関係を続けることができています。お取引先様の中には、困りごとがあると当社に相談が来ることがあります。その時は会長のように「はい、出来ます!」の精神で、どんなに細かく難しい依頼でも、できる限り要望に応えられるようにしていきたいと思っています。
また、時代の変化に合わせた経営の形が必要だと思います。例えば、機械化が進んでいる現代ではありますが、人の手がないと成り立たない部分もあります。その中で、当社の従業員の平均年齢は40代後半ですので、今後も会社が続いていくには若い力が必須です。そのような問題意識のもと、ここ最近は毎年新卒採用を実施して、若手が働きやすい環境づくりも積極的に行っています。若手の力は凄まじく、仕事の習得も速いですし、斬新なアイデアも色々と出してくれます。若手と経験豊富なベテランが協働することで、当社もより活性化して時代の変化に対応することが出来るのではないかと考えています。
和人会長:経営者として立派な顔付きになりましたね(照)。これまで色々な経験をしてきた中で、経営者としての覚悟が決まったのだと思います。
井上スパイスの未来とは
-最後に、井上スパイス工業の今後のビジョンをお聞かせください。
和人会長:当社の事業は、スパイスを通じてお客様にわくわくと元気を与える「スパイスサービス業」だと思っています。食文化の発展にはスパイスの味わい深さが欠かせませんし、スパイスは「食べる漢方薬」でもありますから、食べる人の健康を助けることも出来ます。また、スパイスは食べるだけではなく、インテリアにだって出来ると私は考えていますから、可能性は無限大です。これからも、当社の枠を超えて、スパイス業界全体でスパイスの魅力を発信していけたらいいなと思っています。
剛社長:「スパイスの情報発信基地」としてスパイスの魅力を伝えたい、オーガニックやビーガンの健康分野で業界一位になりたいなど、色々な展望がありますが、一番は地域の方々から愛される会社であり続けたいと思っています。当社はスパイスの会社ですから、どうしても工場から出るスパイスの“香り”の問題があります。それでも、この上尾の地で長く事業を続けることが出来ているのは、地域の方々のご理解があってこそだと思います。
以前、「これまで地元には“これ”と言ったお土産になる逸品が無かったので、地元のお土産としてスパイスを購入できてとても嬉しいです。」と地域の方からお声がけいただきました。このようなお声をいただき、地域の方々から愛され、自慢の逸品だと思っていただけることにとても喜びを感じました。井上スパイスは、5年、10年先もずっと地域の方々から愛され、その想いに答えられるような会社であり続けたいと考えています。
【企業情報】
井上スパイス工業株式会社
代表取締役会長 井上 和人(いのうえ かずと)
代表取締役社長 井上 剛(いのうえ つよし)
埼玉県上尾市上野491-1
https://inouespice.co.jp/