「最高」を届ける飴づくり~3度の被災を乗り越えて~
OEM専門から自社商品の製造へ
― 御社ではべっこう飴や棒付きキャンディを自社商品として展開されていますが、以前はOEM中心だったのでしょうか。
はい、当初はOEM専門でした。しかし、リーマンショックで取引先企業の経営方針が変わり売上に大きな打撃があったことから、OEMに頼り切ると自立した経営ができないと危機感を覚え、事業を転換しなければと思い始めました。
自立に向けた動き出し。しかし・・・
自社の経営を変えようと思った矢先のことでした。当社が災害に巻き込まれてしまったのです。
2011年は地震で被災、翌年には竜巻災害に遭って工場が全壊してしまいました。天井も窓ガラスも機械も、全てが崩れてしまった状況をみて、正直、立て直しは無理だと諦めそうになりました。
そのような時に、従業員や親戚、友人、近隣、取引先など多くの人が助けてくれました。ガラスの破片だらけで入ることもできなかった工場でしたが、様々な人が片付けを手伝ってくれたことで、立て直しに向けて何とかしようと決意することができました。実は1986年にも水害に遭っているので、当社は計3回も被災していることになるのですが、周りの人のおかげで会社を続けることができています。
自社商品開発のはじまり
― 様々な困難の中で経営方針を変えようと思われた時、どのように取り組まれたのでしょうか。
「まずは何か作らないと」という思いから、栃木県の産業振興センターに相談に行きました。OEMばかりで自社の商品は持っていなかったので、売れるパッケージを作りたいと思っていました。
ただ、パッケージを作ったとしても経営のノウハウがなく、このままでは続かないと思い、経営に関する勉強会に1年間参加することにしました。当初は売れる商品を早く作って利益を出したかったのですが、これまで専門的に学んだことのなかったマーケティングや商品開発などを勉強できたのは、結果的に良い機会だったと思っています。
「最高」という企業理念
なかでも学びになったのは「企業理念を考える」ことです。当社では「最高」という言葉を企業理念としていて、最高の仲間と最高の商品を作り、お客様に最高の感動を届けることをコンセプトにしています。
「最高」は父が亡くなった時の最期の言葉です。当時は悲しい思い出でしたが、勉強会で企業理念を考えようとなった時に頭に浮かんだのもこの言葉でした。
父は戦争で傷を負って帰還しており、人が羨むような順風満帆な人生ではなかったと思います。その父が発した「最高」の意味を考えた時に、”人それぞれ、本人の満足感が一番大切”ということだと思い、まさに当社の理念に沿うと感じました。「最高」は父が会社に残してくれた言葉だったのではと思っています。
― 大切にされている「最高」の言葉を、商品ではどのように形にされているのでしょうか。
商品を手に取ってもらえた時に、「美味しい」「綺麗」といった感想や、場合によっては面白いという感覚でも良いので、何かしら心を動かす感動を伝えられるものでありたいと思っています。
今の看板商品である「どうぶつべっこう飴」の開発中に、どのような商品にすべきか専門家に相談したことがありました。その時に、べっこう飴はお年寄りが好むものなのに動物の形は子ども向けで、ターゲットがちぐはぐだと指摘を受けたことがあります。
しかし、母から「歳をとっても可愛いものは可愛いと思うよ」という一言を受けて、そのまま商品化しようと決めました。今では子どもからお年寄りまで幅広い年代・地域の方に親しんでいただける商品になったので、当社としてのこだわりを活かして良かったと思っています。
引き継がれる強みと新たな挑戦
― 小崎社長の行動力の背景にはご両親の影響もあると感じましたが、会社を継がれた時に意識していたことはありますか。
実は会社を継ぐこと自体はあまり意識していませんでした。学生時代に手伝いとして飴づくりに関わっていたことはありますが、経営についてしっかりと考え出したのは実際に会社を継いでからです。
当社は、長年のOEMで様々な企業のオーダーに応えてきた経験から、飴の味と食感、形成技術に強みがあります。例えば、べっこう飴の生産では、職人の目利きで砂糖を溶かし、型を変えながら様々な形を作っています。熟練の技術が必要で手間もかかりますが、それによって飴本来の美味しさと繊細な見た目を生むことができているので、この製造方法は基本的に変えていません。これからも、この「強み」はしっかりと引き継いでいきたいと思っています。
他方で、OEMではイベント向けの棒付きキャンディが多く、形と味にこだわりを持っていても、期間限定で終了してしまう商品がほとんどでした。スーパーで売っているようなロングセラーの商品に憧れがあり、当社でも長く愛される商品を作りたいと思ったことから、袋入りの商品を生み出しました。実際、コロナ禍でイベントの中止が続いた時には、消費者が購入しやすい袋入りの飴によって経営が支えられました。
野州たかむらの名前を国内外へ!
― 挑戦を続けられている御社ですが、小崎社長が描く今後の展望を教えてください。
これまで自社商品を紹介するために様々な展示会に出店してきました。展示会は、コミュニケーションを取りながらバイヤーの方に商品の魅力をアピールできる点が良さだと思っています。さらに、現在では消費者にも直接商品を届けられるよう、東京に店舗を構えて自社ブランドである「AMER(アメール)」を発信しています。
ゆくゆくは国内への発信だけでなく、海外市場への展開にも力を入れていきたいです。例えば、「和べっこう飴」という商品は、日本にゆかりのある招き猫や桜の花の形を模した飴にしています。また、原料には地元の農産物を使いたいと思い、茂木町でとれる「ゆず」を活かしたこだわりの飴も作りました。
野州たかむらとAMERの名前が国内外に広がるように、更なる事業展開に挑戦していきたいと思っています。
【企業情報】
株式会社野州たかむら
代表取締役 小崎 和江(おざき かずえ)
本社:栃木県芳賀郡茂木町茂木181-1
東京営業所:東京都渋谷区鶯谷町4-14 Tハウスビル