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~経営を立て直すきっかけは周囲の人との「ご縁」から~地域を牽引する2代目社長の次世代に繋げたい思いとは

経営者の情熱を発信する“Project CHAIN”第32弾。今回は、茨城県常陸太田市で、医療用分析機器関連製品の製造、電子顕微鏡関連の付属品の製造、半導体故障解析用ツールの製造に力を入れる株式会社三友製作所の2代目社長の加藤木克也(かとうぎかつや)さんです。
同社は創業当時、特殊な工業計器の製造に携わっていましたが、精密機械加工で培った高い技術力を強みとして、現在は医療用分析機器関連製品の製造が大半を占めており、次世代を見据えた技術開発にも積極的に取り組まれています。そんな加藤木社長のこれまでの軌跡、社長にとっての「チャレンジ」とは何か、次世代に繋げたい思いなどを伺いました。

「やりたいこと」に出会えた若き日々

ー社長就任までのエピソードを教えてください。

私は2代目ですが、父親の跡を継がなければいけないと思ったのは小学校6年生の時でした。友人が中学受験で自分の将来を決めたことを知り、自分も大学は家業に関連がある電気工学系の学部を目指すことにしました。
大学卒業後は父の会社に入る前にいろいろな経験をしておきたかったので、自社の近くにある日立製作所に勤めることにしました。日立製作所では工業計器の設計部門に配属され、当時最先端の半導体ストレインゲージの開発に抜擢されて、そこで初めて半導体を扱いました。その部門は日立製作所が一番力を入れていたので、本当に様々なことを学べましたね。

その後、当時の設計部長に、「父の会社に入る前に、自社で製造できる製品を開発したらどうか」と言われました。試行錯誤しながら製品を完成させ、父の会社に入ったのは30歳の時でした。入社したときに父親が設計用の部屋を用意してくれたので、私はひたすら設計をやればいいと思っており、会社経営のことは一切関心がありませんでした。ただ、昭和の終わり頃には工業計器は成長産業から外れて、自分の会社の主製品が市場で通用しなくなり業績も悪くなっていました。

反論を受けながらも、変革のために取り組んだこと

ー社長に就任したのはいつでしたか。

44歳の時に就任しました。就任直前に父親に肺がんが見つかって、交代の時期には引き継ぎの手続きの度に病院まで足を運びとても苦労しました。

ー経営を建て直すきっかけとなった出来事があったのでしょうか。

取引先から中小企業診断士を紹介され、その方と自社の財政状況を見直した時、このままではまずいと感じ、経営を学ぼうと思いました。また、1992年に中小企業大学校で2週間勉強して中期計画を作成しました。その中期計画を取引先の部長さんに見せたところ、様々なアドバイスをいただけました。そのアドバイスをきっかけに工業計器から理化学機器を中心に製造をシフトしていくことに決めました。当社の主要製品である医療用分析機器への展開の原点はこの時でした。
また、若い人の採用に力を入れ始めたのもこの頃でした。当時は平均年齢が高く、若い人が入ってもすぐに辞めてしまったため、若い人たちにとって魅力のある会社にする必要がありました。

インタビューに答える加藤木社長と変革のきっかけになった中期計画

ー若い人材にとって魅力的な会社にしていくためにどのようなことを変革していったのでしょうか。

若い人のために何ができるのかを考えたとき、まずは職場を綺麗にすることでした。当時はお世辞にも綺麗な職場とは言えませんでしたからね。
また、自社製品の設計に携われば「面白いことができる会社だ!」と思ってもらえるので、自社製品の開発に力を入れ始めたのもこの頃でした。もちろん年配の職人さんも大切でしたが、その人たちが頑張るだけでは自社の将来はないと思ったので、若い人をいかに成長させていくかを優先的に考えました。
そのなかで「Sunyouth会」という若い人だけでレクレーションを企画するグループを立ち上げました。年配の人からは反論もありましたが、「若い人が育つ環境を一緒に整えてくれ」と徹底して言っていましたね。
また、新入社員を1年間組み立ての現場に配属させていましたが、取引先の課長さんがその姿を見て非常に関心を持ってくださり、その取引先からの受注が増えたりもしました。

左/昭和34年創業当時の馬場町工場(本社工場)
右/スマートリィセンター新工場(令和2年操業開始)(いずれも三友製作所提供)

誠意を尽くすことが、良いご縁を生む

ー自社製品についてはどのように開発されたのですか。

作るからには簡単な物は作らないと決めていました。当時、茨城大学の先生とお付き合いがあったので、先生から「電子顕微鏡内マイクロマニピュレーター」を教えてもらいました。これは電子顕微鏡を使って顕微解剖を行えるものなのですが、「面白い!」と思いすぐに共同開発を行う決断をしました。
当社の若い人にもやる気があったので、産総研の方から指導を仰ぐなどして勉強する環境を整え、さらに取引先の電子顕微鏡の扱いに長けた人にも協力してもらい、開発に至りました。

ー自社製品開発で苦労したことはありますか。

開発費の工面が一番苦労しました。当時は開発に使える費用はあまりなかったので、県の補助金を活用しました。また、開発に必要な電子顕微鏡は、高額のため自社で買うことができず大学から借りていたのですが、どうしても自社で欲しいと思い、当時の科学技術振興事業団の事業を活用して導入に至りました。
苦労して開発した初めてのマイクロマニピュレーターは2台しか売れませんでしたが(笑)、開発や資金調達で多くの方とのご縁を得られたので、今思い返すととてもありがたかったです。

ー加藤木社長は人とのご縁を作るのが上手な方ですね。なにか秘訣はあるのでしょうか。

「わからないことを素直に聞くこと」と「面白いと思ったことはすぐに取り組むこと」だと思っています。関係構築当初は、あまり信頼されていないと感じることもありますが、誠意を尽くすことで伝わると思っています。また、仕事を請け負うには従業員や職人さんの協力が必要です。納期によっては休日に働いてもらうこともありましたが、こういった苦労を通して関係が良好になったこともありましたね。

面白い!と思えることに挑戦できる環境を作っていきたい

ー今後チャレンジしていきたいことはありますか。

自分の思いを次の世代に繋ぎたいと思っています。ただ、自分がやってきたことが全て正しいとは思っていませんし、この業界は変化していくので、時代に即した「正しい」と思うことを改めて考える必要があると思います。そのためには、自分で納得して決断したことには結果がどうであれ、後悔しないよう、自分で突き進める力を身につけて欲しいと思っています。

今後は次の世代が自分たちで決められるような基盤をつくれるようにしていきたいですね。特に「やってみたいことをなんでも取り組ませる」ことを重視して、上手くいかなかったら立ち止まって「なぜ」とじっくり考えられるような環境を築きたいです。やってみると意外と面白いことが多いのがこの業界だと思っていますので。

ー時代ごとに変わる情勢ですが、社長の中での経営における信念はなんでしょうか。

私自身は周りの人に恵まれていると思っているので、人との繋がりを決しておろそかにしないことですね。人の意見を聞ける人間であることは大切であり、今までのご縁は全てそのようなことを意識していたからだと思っています。

左/1998年当時の「Sunyouth会」の集合写真(最前列一番左が当時の加藤木社長)
右/自社製品であるマイクロマニピュレーター(いずれも三友製作所提供)

【企業概要】
 株式会社三友製作所
 代表取締役 加藤木 克也(かとうぎ かつや)
 茨城県常陸太田市馬場町457

-編集後記-
取材中、終始笑顔で穏やかで素敵な加藤木社長でした。お話を聞く度に社長の人柄から「人とのご縁」をとても大切にされていることが伝わりました。加藤木社長の軌跡、若い世代に繋ぎたい思いが少しでも記事から伝わればと思い執筆しました。
                            担当特派員TH


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