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Project CHAIN

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地域で頑張る企業・経営者にはそれぞれの物語があり、思いがあります。地域で果敢に挑戦する情熱を持った素晴らしい人達のビジネスの肝や、取組にかける思い、苦難を乗り越えた秘訣などを紹介…
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#神奈川県

地域で紡がれる「物語」をつなぐ

Project CHAIN 始動します。 はじめまして! 私たちは経済産業省関東経済産業局に所属する職員が部署横断で集う有志チームです。 私たちは仕事柄、経営者の皆さんの思いを聞かせて頂く機会があります。 生まれ育った地域や従業員に対する想い、苦労を乗り越えた経験談など、思わず時間を忘れて聞き入ってしまうようなことも多く、こうした経営者の皆さんにお会いすることは、私たちにとって”ココロ震える瞬間”です。 “ココロ震える瞬間”には、それぞれの物語(story)があり思いが

「失敗大歓迎!」その裏にある社長の想いとは

学生時代から抱いていた経営者の道-クフウシヤを起業した経緯を教えてください 学生時代から漠然と経営者になりたいと思っていました。20代はまずは経験を積まなければと思い、ITの営業職など6年ほどサラリーマンを経験しました。その間も経営について学びたいと考え、MBAに通ったり、中小企業診断士の資格も取得しました。 -その後、クフウシヤを起業したのでしょうか? まずは父が独立して飲食店をやるというので、仕事を手伝うことになりました。そこで、大きな失敗を経験しました。飲食店を3

平坦ではなかった道のり~「ものづくりのまち川崎」で挑戦を続ける4代目社長

祖父から後継者として期待された幼少期、距離を置いた学生時代、入社を決心した26歳―星野社長の幼少期について教えて下さい。 私が生まれて間もない頃に父が病気で亡くなり、物心が付いたときには母方の祖父が社長で母が専務に就いていました。当時は1階が作業場、2階が住居という環境で、親子3代で生活していました。私は2人姉弟の長男であったせいか 、保育園に通っている頃から祖父には「将来はお前が会社を経営するんだぞ」と言われていましたね。 例えば、祖父と一緒にお風呂に入っているときも「

成功するまでやり続ける、頑張り続けていれば応援してくれる人が現れる。医学教育者が求めていた高品質の教育ツールを開発した秘訣と想い

「人の役に立てる仕事がしたい」幼い頃からの変わらぬ思い―幼い頃の藤木代表について教えてください。 理科、その中でも化学の分野が好きな子どもでした。その頃から将来は、「得意分野で意味のある仕事をしたい。困っている人を助けてあげたい、感謝される仕事がしたい」と思っていました。 また、ものをつくることに熱中する性格で、やり始めるとそれだけに集中してしまうこともありました。進学についても好きな分野である化学に絞りました。人の役に立てる仕事として薬剤師を目指し、大学卒業と共に薬剤師免

異業種とのコラボ!人脈を大切にした製造業の販路開拓。

-幼少期や学生時代について教えてください。 幼い頃から父親にくっついて頻繁に工場を出入りしていました。それが影響したのか機械をいじることが大好きでしたね。芸術系の大学に通っていて、映画業界に進もうと思った時期もあったのですが、その頃からオートバイに乗り始め、自分でメンテナンスを行ったり、鈴鹿サーキットまで走りに行ったりするなど、機械が好きなのだと再認識したこともあり、オートバイの専門店に就職し、メンテナンスなど整備関係の仕事を約3年間していました。 -三差製作所へ入社した

営業課長から社長に抜擢!その原動力・心の支えは「自社開発」への熱意でした

会社が大転換を迫られていた中で、ある日「社長をやってくれ」と言われたのです。-社長就任以前はどんなことに取り組まれていましたか。 私は経営陣と血縁関係が無い一社員でした。当時(1970年代)の弊社は、大手製鉄会社の協力会社であり、下請け仕事が売上の8割を占めていました。ただ、私自身は下請け仕事の担当ではなく、新製品開発担当としてお客様や商社のニーズを弊社の技術部門に持ち込み、議論しながら開発を進める仕事をしていました。あの頃は多くの人に話を聞くなど市場調査に汗を流す日々でし

“風と太陽で刷る印刷“に挑戦する社長の情熱。「共感・共鳴」を大切に歩んできた社会課題解決型企業の姿

少年時代に感じた大川印刷への「誇り」。会社の運動会での忘れられないプレゼント-幼少期、家業にどんなイメージを持っていましたか。 当社が印刷したお客様の商品を身近に感じることが多く、家業に「誇り」を持っていました。長年の取引先の崎陽軒様が正月に向けて販売する「シウマイ年賀状」は学校でも話題になることが多く、得意げにクラスの友達に送っていたことを覚えています。 また、当社では、社員が一堂に会する運動会を年1回開催していたのですが、子供の頃から参加していました。4歳の頃に参加した

失敗を重ねた先に成功がある!100%業態転換を実現した社長の“情熱”

幼い頃から当然会社を継ぐと思っていた。紆余曲折を経て2代目が社長に就任するまで。-バイオクロマトに入社するまでの経歴について教えてください。 弊社は元々、父が創業した半導体製造装置関係の下請商社でした。幼い頃から、当然自分が会社を継ぐものだと思って、学生時代も全く就職活動をしていませんでしたが、大学4年時に父から「お前就職どうするんだ」と突然言われました。外で修行してこいというメッセージだと受け取り、慌てて就職活動して、化粧品メーカーの営業職に就職しました。化粧品メーカーで