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地域HOTパーソン

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地域への熱い思いを持って奮闘するキーパーソンに、その情熱のルーツや取組などを伺う「地域HOTパーソン」。様々な悩み・課題にぶつかりながらも、地域経済の活性化に取り組むその思い、様…
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#中小企業

『身近な町医者』のような存在になりたい

支援者は私の天職―須田さんが支援者になられたきっかけは何ですか? 倒産の経験を通じて、経営者が孤独だということを身をもって知りました。また、経営者の無知は従業員をはじめ、利害関係者にとって罪悪だという強い認識を持ちました。 そのとき相談対応いただいた中小企業診断士の方から「この経験を人のために活かしましょう」と助言をいただいたことをきっかけに診断士資格を取得して支援者となりました。現在は、当時の自分と同じように事業経営に苦慮する経営者の「身近な町医者」のような存在になりたい

企業に頼られる『群馬のお母さん』

茨城から群馬へ-よろず支援拠点のチーフコーディネーターになるまでの経歴を、簡単に教えてください。 実は、私は茨城県出身です。民間企業からのお誘いもあったのですが、茨城県庁に就職することになりました。はじめに本庁で秘書業務を数年務めたのち、県の東京事務所で、知事の秘書や経理、各部局に関連した会議の設定や、各種団体イベント設営のお手伝いなどをしていました。あまり公務員らしくない仕事が多かったかもしれません。秘書時代が長かったこともあり、『この人を立てるにはどうしたら良いか』とい

中小企業は、地域を盛り上げるパートナー -現場に足を運び、人と人とをつなぐ支援を行う

市役所職員の視点から見た景色ー木村さんは、信用金庫での勤務を経験されているのですね。 そうですね。社会人としてのスタートは信用金庫です。 実家が商売をやっていましたので、学生時代は実家の手伝いばかりしていました。就活の時期になり、就職先も決まらずふらふらしていた時に、たまたま実家と取引していた信用金庫のご縁で就職しました。 しかし、厳しい世界でノルマに耐え切れず、たった3年半で辞めてしまいました。3年半、何の実績も残せていなかったと思います…。当時は本当に甘い人間でした

相談者のことを一番に考えて相談者が喜ぶことをしたい

「1人」から「チーム」への心境の変化-2014年度のよろず支援拠点の立ち上げからこれまで、ずっとチーフコーディネーターとして活躍されていますね。立ち上げ当時のエピソードを教えてください。 茨城県よろず支援拠点に入るまで、私は1人でコンサルタントとして独立してやっていました。チームを一つにするのは自分には難しいので、みんなと一緒に協力してやるなんて考えは毛頭もありませんでした。相談を分担するのではなく、自分1人で大体1日10人くらいに会うことを目標にしてやっていました。当時は

「当事者意識を持って、支援をさせていただく」-事業者の商売繁盛のため、現場に立ち続ける経営指導員の矜持。

知識だけでなく、現場の経験を積み重ねる-経営指導員として20年以上活動されているそうですね。 はい。1996年に鎌倉商工会議所に入り、2001年に経営指導員となりました。現在は管理職の立場になりましたが、経営指導員として日々現場に出て支援に取り組んでいます。事業者の方に会うことが本当に大好きなんですよ。 ただ、入所したての頃は「自分が社長の相談に乗るなんてとてもできない」と思っていました。それまで社長と接した経験がなく、自分に全く自信がなかったんです。 そこで、拠り所と