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Project CHAIN

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地域で頑張る企業・経営者にはそれぞれの物語があり、思いがあります。地域で果敢に挑戦する情熱を持った素晴らしい人達のビジネスの肝や、取組にかける思い、苦難を乗り越えた秘訣などを紹介…
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地域で紡がれる「物語」をつなぐ

Project CHAIN 始動します。 はじめまして! 私たちは経済産業省関東経済産業局に所属する職員が部署横断で集う有志チームです。 私たちは仕事柄、経営者の皆さんの思いを聞かせて頂く機会があります。 生まれ育った地域や従業員に対する想い、苦労を乗り越えた経験談など、思わず時間を忘れて聞き入ってしまうようなことも多く、こうした経営者の皆さんにお会いすることは、私たちにとって”ココロ震える瞬間”です。 “ココロ震える瞬間”には、それぞれの物語(story)があり思いが

熱い想いで佐渡から日本を支える社長の想い~緑あふれる木造工場!?~

高校で出会ったアマチュア無線。ものづくりの道へ進むきっかけと起業 ―「電磁誘導」に出会ったのはいつ頃でしょうか。 農家の長男に生まれ、高校は農業高校に進学しました。高校で出会ったのがアマチュア無線部です。それまで機械などに触れることはあまりなかったのですが、その魅力にどんどんハマっていきました。コールサインと呼ばれる交信者の情報を用い、より遠くの人と交信したり、その証明としてQSLカードの交換をすることなどがとても楽しかったです。3年生になると部長に指名され、部員をまとめ

「古木」の価値を世界へ!~三代目社長の熱き想い~

深く身に染みついた「内輪(うちわ)を大切にする」という意識。会社のため、職人さんのため、自分自身にできる仕事を。-山上社長の幼少時代について教えてください。 当時の山翠舎は、長野県内のゼネコンの下請けという立場でした。ファーストフード店などの建築に関わっていましたので、お店がオープンした際には家族皆で行っていました。また、自宅の前が工場という職人さん達と触れ合う機会が常にある環境で育ったので、職人さん達にはよく遊んでもらいました。休憩時間におやつを出したり、新年会で実家に関

Project CHAIN番外編#3 潜入調査であの記事を深掘り!「1つのオレンジを皆で分け合う」って結局どういうこと?

前回も取材にご協力いただいた橋本社長に、単刀直入に聞いてみました。 ―「明るく楽しく対等に」働くことができる会社のしかけには、例えばどんなことがありますか? 橋本社長:例えば「自律会議」という当社独自の会議ルールがあります。・・・言葉で説明するよりも、実際に参加した方が分かりますよ。ちょうどこれから経営会議を行いますので、是非体験してみてください。 な、なんと、吉村の経営方針を決める経営会議に飛び込み参加することになりました! 経営会議は、幹部のみならず、ベテランから

Project CHAIN番外編#2 潜入調査であの記事を深掘り!「いきいきと働く」って実際どういうこと?

前回も取材にご協力いただいた優馬さんが迎えてくださいましたので、早速、単刀直入に聞いてみました。 ー「いきいきと働く」って、どういうことですか? 優馬さん:会社の理念である、「大いなる喜びは、大いなる社会貢献の中にある。」「顧客の利益が自社の利益。すなわち公共利益。」これを体現することが、いきいきと働くことに直結すると考えています。お客様のためを思って取り組んだことが結果として、自社の生産性向上や売上増加にもつながり、楽しいですしやりがいを感じています。 前回の取材の際

夢を夢で終わらせないージャパニーズウイスキーを牽引し挑戦を続ける想いとは

こんなに人を幸せにできるウイスキーを廃棄するわけにはいかない。 原酒廃棄の危機を乗り越えて、自社のウイスキー販売に漕ぎつけるまで―ウイスキー造りをしたい、と思ったきっかけについて教えてください。 肥土社長:元々ウイスキーが好きで「ウイスキーに関わりたい」という思いから、大学卒業後は大手飲料メーカーに入社し企画や営業を担当しました。一方で「いつか自分の酒を造りたい」という思いが捨てきれず、父から声をかけられたことをきっかけに実家の酒造会社に入社しました。 入社後、父の代まで造

「1枚のタオルに想いを込める!」あるジーパン好きの青年が社長になるまで

きっかけはジーパン。繊維との出会い-繊維に興味を持ち始めたのはいつ頃のことでしょうか。 中学3年生の時に、バスケ部だった後輩がジーパン姿で一人シュート練習をしている姿を見たことがきっかけです。かっこいいジーパン姿が印象に残り、服に興味を持つようになりました。高校に入って行動範囲が広がってからは古着屋めぐりをするようになりました。実は私の出身は岡山県なのですが、岡山県が有名なデニム(ジーパン生地)の産地ということも当時は知りませんでした。古着屋に行ってはジーパンを見て、他の衣

「お菓子を通して社会へ笑顔を届けたい」目指すのは「人に優しく危機に強い会社」~厳選した品揃えで地元川越から和菓子業界の常識を打ち破る!!~

専業主婦から突然の承継、支えてくれた家族と社員-会社を承継されることは、社長ご自身の中で、いつ頃から意識していらっしゃったのですか。 住居と会社が一体で、仕事を手伝うのは当たり前の環境で育ってきました。年子の姉と2人のいとこも同じ家で暮らしていて男手が多かったこともあり、当時はまさか自分が会社を継ぐなんて思いもしませんでした。しかし、社長であった父が病気になったことがきっかけで、私に打診がありました。当時私は37歳で、子育ての合間に会社を手伝うことはありましたが、専業主婦と

「面白い!」を何よりも大事に!新しいことにチャレンジし続ける極意とは

女性役員の「先駆け」として-テトラ・アビエーション株式会社に入社されたきっかけを教えてください。 もともと行政書士として仕事をしていたのですが、代表取締役である中井さんの知人から紹介を受けまして、「ベンチャー企業にも航空機が作れるんだ。すごいなあ!」と思って面白そうだから入社しました。 当初は社員として労務管理等を担当するようにお願いされ入社したのですが、入社して1~2週間後急に役員になってくれないか打診があり、驚きのあまり「聞いてないです!」と言ったことを今でも覚えており

業界にイノベーションを!食品流通革命児が世界の夜明けに見るものは

暗闇の中で見つけた革命の果実-起業を決意したきっかけをお教えください。 将来は父の跡を自分が継ぐのだろうと思い、家業の冷凍機会社で働いていましたが、業界の先行きを見るとビジネスモデルにも限界があり、どうも暗い先しか見えなかった。自分は本当にこのままで良いのかと自問する中で、30代の時に自分探しの旅をしようと思い、東南アジアの国々を巡りました。 タイである果物を初めて口にしたのですが、それは現地栽培のマンゴスチンでした。とにかく甘くて鮮度が高い、こんな果物を日本でも食べること

「ナマステ!」スパイスを愛し、地域から愛される親子の物語

「はい、出来ます!」の気持ちを大切に byマハラジャの会長-井上スパイスを起業しようと思った経緯を教えてください。 和人会長:実家で唐辛子を栽培していたこともあり、小さい頃から辛いもの好きでした。その影響もあって自然とスパイスに興味が湧き、業務用のスパイス製造会社に就職しました。その中で、より多くの方々にスパイスの魅力を伝えたい、食卓のテーブルに近いスパイスを作りたいと思うようになりました。そこで、少量かつ安価な家庭用のスパイス商品を作るために起業したのです。 -和人会長

「失敗大歓迎!」その裏にある社長の想いとは

学生時代から抱いていた経営者の道-クフウシヤを起業した経緯を教えてください 学生時代から漠然と経営者になりたいと思っていました。20代はまずは経験を積まなければと思い、ITの営業職など6年ほどサラリーマンを経験しました。その間も経営について学びたいと考え、MBAに通ったり、中小企業診断士の資格も取得しました。 -その後、クフウシヤを起業したのでしょうか? まずは父が独立して飲食店をやるというので、仕事を手伝うことになりました。そこで、大きな失敗を経験しました。飲食店を3

「信頼するということ」従業員が輝く職場をつくるために

テニス一筋の学生時代。大学卒業後は現場を経験-津覇社長の経歴を教えてください 10歳の時に、近所にテニスコートができたことをきっかけにテニスを始めました。その後、小中高大とテニスを続け、現在でもシニアの選手として55歳以上のクラスで大会にも出場しています。8年前からは指導者として白井市の男子監督も兼務しています。 大学卒業後は、沖縄出身の祖父が上京して設立した鉄道車両等を製造する会社の現場で働いていました。亡くなった祖父は非常に人間味のある人柄でしたね。あるとき、私のテニス

先見の明で、常に前へ突き進む 世の中に必要とされる会社を目指して

作業着姿で働く父の背中を追いかけて-藤池社長がデサンに入社されるまでについて教えてください 子供の頃から工場で社員と一緒に働いている作業着姿の父が好きでした。「作業着」に憧れがあったのかもしれません。父は日々忙しそうで、「お父さん」として一緒に居る時間は少なかったと思いますが、夏休みになれば社員のご家族と一緒に旅行へ出かけたりもしていました。当時社員は15名くらいで家族同然でした。 会社を継ぐことに抵抗はなく、むしろ継ぐことを前提に生きてきた感じです。 大学で化学を専攻した