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Project CHAIN

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地域で頑張る企業・経営者にはそれぞれの物語があり、思いがあります。地域で果敢に挑戦する情熱を持った素晴らしい人達のビジネスの肝や、取組にかける思い、苦難を乗り越えた秘訣などを紹介…
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#埼玉県

地域で紡がれる「物語」をつなぐ

Project CHAIN 始動します。 はじめまして! 私たちは経済産業省関東経済産業局に所属する職員が部署横断で集う有志チームです。 私たちは仕事柄、経営者の皆さんの思いを聞かせて頂く機会があります。 生まれ育った地域や従業員に対する想い、苦労を乗り越えた経験談など、思わず時間を忘れて聞き入ってしまうようなことも多く、こうした経営者の皆さんにお会いすることは、私たちにとって”ココロ震える瞬間”です。 “ココロ震える瞬間”には、それぞれの物語(story)があり思いが

「Beer Beautiful」ビールの楽しさを伝えたい

地ビールからクラフトビール「COEDOビール」誕生へ- 出自や学生時代について教えて下さい 先祖代々川越で、曾祖父は明治時代に紡績会社を立ち上げ、祖父の時代は戦争の影響もあり紡績会社をたたみ農業を行っていました。父は大企業のエンジニアでした。「協同商事」の創業者は義理の父になります。 高校生の頃の興味は「会社を経営する・事業を興す事」「料理人になる事」「哲学者になる事」の3つでした。 高校時代は日本国内を、大学時代には沢木耕太郎の紀行小説「深夜特急」の影響もあり、バックパッ

うそのない、正直な商売を大切にしたい

うそのない醤油づくりの原点―弓削多醬油株式会社の醤油には徹底したこだわりを感じますが、こだわりを持つようになったきっかけを教えてください。 実は私は先代である父から醬油づくりを引き継ぐことができませんでした。醬油づくりは周りの方々の助けを借りながら自力で勉強しました。 わが社の醬油づくりは初代の祖父が発酵に関心を持ち、ご縁があって醬油蔵をまるごと譲り受けたのが始まりです。醬油づくりは細々とやっていて、実態は食品の産地問屋でした。3代目である父の時代、私は会社を継ぐために入社

夢を夢で終わらせないージャパニーズウイスキーを牽引し挑戦を続ける想いとは

こんなに人を幸せにできるウイスキーを廃棄するわけにはいかない。 原酒廃棄の危機を乗り越えて、自社のウイスキー販売に漕ぎつけるまで―ウイスキー造りをしたい、と思ったきっかけについて教えてください。 肥土社長:元々ウイスキーが好きで「ウイスキーに関わりたい」という思いから、大学卒業後は大手飲料メーカーに入社し企画や営業を担当しました。一方で「いつか自分の酒を造りたい」という思いが捨てきれず、父から声をかけられたことをきっかけに実家の酒造会社に入社しました。 入社後、父の代まで造

「お菓子を通して社会へ笑顔を届けたい」目指すのは「人に優しく危機に強い会社」~厳選した品揃えで地元川越から和菓子業界の常識を打ち破る!!~

専業主婦から突然の承継、支えてくれた家族と社員-会社を承継されることは、社長ご自身の中で、いつ頃から意識していらっしゃったのですか。 住居と会社が一体で、仕事を手伝うのは当たり前の環境で育ってきました。年子の姉と2人のいとこも同じ家で暮らしていて男手が多かったこともあり、当時はまさか自分が会社を継ぐなんて思いもしませんでした。しかし、社長であった父が病気になったことがきっかけで、私に打診がありました。当時私は37歳で、子育ての合間に会社を手伝うことはありましたが、専業主婦と

「ナマステ!」スパイスを愛し、地域から愛される親子の物語

「はい、出来ます!」の気持ちを大切に byマハラジャの会長-井上スパイスを起業しようと思った経緯を教えてください。 和人会長:実家で唐辛子を栽培していたこともあり、小さい頃から辛いもの好きでした。その影響もあって自然とスパイスに興味が湧き、業務用のスパイス製造会社に就職しました。その中で、より多くの方々にスパイスの魅力を伝えたい、食卓のテーブルに近いスパイスを作りたいと思うようになりました。そこで、少量かつ安価な家庭用のスパイス商品を作るために起業したのです。 -和人会長

人とモノとコトを心地よい関係でつなぎたい。

母を助けたい、その一心で入社、そして社長に-会社を継がれたきっかけは何ですか。 小さなころから工場に出入りはしていましたが、高校卒業後は一般企業に就職したこともあり、まさか会社を継ぐとは思っていませんでした。元々会社は父が社長で、父の兄弟が専務、そして母も工場の作業を手伝いながら経理を担当していました。母は私が小学4年生の時から祖父の在宅介護もしており、本当に大変そうでした。両親と家族旅行が出来たのはたった一度きりです。 そんな母から、「経理を手伝ってほしい」と声をかけられ

「お前は社長の仕事を何もしていないし、わかっていない」メンターとの出会いで見つけた経営における大切なこと。

カリスマだった父の教え-松社長の経歴を教えてください。  私は、3人姉弟の真ん中です。長男ということもあり幼い頃から会社を継ぐことを意識していました。高校までは普通科で学び、仕事に繋がることをより専門的に学ぶために大学は工学部金属材料工学科に入り、大学院でも勉強しました。卒業後は就職しようと思っていましたが、当時お世話になっていた教授から留学を勧められました。英語力を身につけるために留学することに決め、コロラド州立大学大学院に行きました。そのおかげで英語力が身につき、海外で

「父から受け継いだノート」経営者の魂が込められた1冊のノートから経営を学ぶ!

入院中の父親から受け取った経営者の心構えが書かれたノート。-菊地さんが小学生の頃に大きな転機があったと聞きましたが。 私が小学校3年生の時に、食品会社のサラリーマンだった父が突然退職しました。突然のことだったので子供ながらにとても驚いたことを今でも覚えています。そうして、父と母が高田馬場で新しく牛肉の問屋を始めることになったのが今の株式会社旭フーズの原点です。 父は「国産牛を広めたい」という思いがあって独立したのですが、父も母も家業で忙しく、夏休みの間、私は母の実家のある小

“日本初”を創り続けた会社が挑戦する表面処理の未来!

会社を引き継ぐベストタイミングとは?父の時代とは違う時代を引き継いで‥。-「日本初」へのこだわりはどのように生まれたのですか。 第二次世界大戦中パイロットだった父は、終戦を迎え一般企業に就職をしましたが、戦後混乱期の中、就職した会社が次々と倒産してしまうという困難に直面してきました。そのような中、とある商社から紹介された「フッ素樹脂」に出会い、現在の会社の前身となる東京シリコーンを創業しました。国内では新しい素材だったため、当時は何をするにも前例のない挑戦の連続だったと聞い