関東経済産業局

経済産業省 関東経済産業局 政策評価広報課です。私たちが出会った地域、中小企業、人が紡ぎ出す物語をお話しします。 経済産業省ソーシャルメディア運用方針 https://www.meti.go.jp/sns/sns_policy.html

関東経済産業局

経済産業省 関東経済産業局 政策評価広報課です。私たちが出会った地域、中小企業、人が紡ぎ出す物語をお話しします。 経済産業省ソーシャルメディア運用方針 https://www.meti.go.jp/sns/sns_policy.html

マガジン

  • 施策活用の現場から

    27本

    経済産業省の施策を活用した具体事例について、画像を添え分かりやすいストーリーで発信します!これまで施策に馴染みがなかった方にも、施策の情報や具体的なイメージが伝わるような記事を目指します。

  • Project CHAIN

    58本

    地域で頑張る企業・経営者にはそれぞれの物語があり、思いがあります。地域で果敢に挑戦する情熱を持った素晴らしい人達のビジネスの肝や、取組にかける思い、苦難を乗り越えた秘訣などを紹介していきます。

  • 地域HOTパーソン

    8本

    地域への熱い思いを持って奮闘するキーパーソンに、その情熱のルーツや取組などを伺う「地域HOTパーソン」。様々な悩み・課題にぶつかりながらも、地域経済の活性化に取り組むその思い、様々な工夫などをご紹介します。

  • 担当者が語る!施策の深層

    7本

    関東経済産業局が実施する施策には、「現場」の実情を踏まえたオリジナリティの高い取組があります。それら施策に取り組む職員が思いや取組の裏側を紹介していきます。

記事一覧

世界中へ”OSHIBORI”を~関東も、共に未来へ #3(FSX株式会社)~

“私にしか出来ないと思えること”をやりたい~独学から伝統工芸へ~

社長になるまでの“腹落ちステップ”とは

スーツケースがヒトを案内?!~関東も、共に未来へ #2(株式会社クフウシヤ)~

秩父に根ざした業界のリーディングカンパニーへ~プレイヤーと経営者の違いを深く痛感。社長が語る想いとは~

地球を冷ます新素材!~関東も、共に未来へ #1(SPACECOOL株式会社)~

「会社は何のためにあるのか」の想いとその先にある挑戦

「一期一会」 の精神を大切に ~ダンボールに込める想い~

最終目標は経営者レス?敏腕社長が目指す究極のストレスレス経営とは

「Beer Beautiful」ビールの楽しさを伝えたい

「最高」を届ける飴づくり~3度の被災を乗り越えて~

ねじのように思いをつなげ、形をつくる

うそのない、正直な商売を大切にしたい

熱い想いで佐渡から日本を支える社長の想い~緑あふれる木造工場!?~

「古木」の価値を世界へ!~三代目社長の熱き想い~

Project CHAIN番外編#3 潜入調査であの記事を深掘り!「1つのオレンジを皆で分け合う」って結局どういうこと?

世界中へ”OSHIBORI”を~関東も、共に未来へ #3(FSX株式会社)~

世界中からのお客様を“おしぼり”でおもてなし―いきなりですが、「大阪・関西万博 賓客用おしぼりサプライヤー」について教えてください。 大阪・関西万博に、世界中からいらっしゃる賓客をおもてなしする際にお出しするおしぼりを提供します。 ―開催期間中、万博会場には、賓客、いわゆるVIPが、お付きの人を含めて、国内外から2万人いらっしゃると聞きました。大変な人数ですが、どのようなおしぼりを提供するのでしょうか? 詳細はまだ協議中ですが、例えば、会場視察の合間にドリンクを飲みなが

“私にしか出来ないと思えること”をやりたい~独学から伝統工芸へ~

日本の文化・伝統を発信したい―つまみ細工を知ったきっかけを教えてください。 大学1年生の時、海外研修先で、「着物と浴衣の違いって何?」と聞かれるもうまく答えられない経験をしました。日本のことを何も知らない自分に気づき、日本の文化や伝統を世界中の人に知ってもらえるような活動がしたいと思うようになり、帰国後、つまみかんざし職人体験教室の案内を見かけ、参加してみることにしました。 薄いシルクの布を正方形に小さく切り、ピンセットを使ってつまんで折り畳むことで花びらなどのパーツを作り

社長になるまでの“腹落ちステップ”とは

後継者が社長になるまでの“腹落ちステップ”-先代社長のご子息として、幼い頃から、将来社長になることを意識されていたのでしょうか。 父から直接プレッシャーを受けたことはなかったのですが、周囲からは、「社長の息子さん」として見られ、「将来は社長になるんでしょ」という期待は感じていました。 しかし、当時の私は明るい性格でもなかったですし、誰かに決められた人生を歩むのは嫌だなと思っていました。同じような気持ちの後継者は多いのではないかと思います。   私のような社長になることを受け

スーツケースがヒトを案内?!~関東も、共に未来へ #2(株式会社クフウシヤ)~

スーツケースが人を誘導?-いきなりですが、AIスーツケースってなんですか? 「AIスーツケース」は視覚障害者の移動を支援するナビゲーションロボットです。内部には、測位システムや、センサー、カメラなど、様々な機器が搭載されており、利用者がハンドルを握ると、障害物を避けながら指定した目的地に自動的に案内します。ハンドルを離すと止まる仕組みで、利用者自身でスピードも調整することができるなど、安全にも配慮しています。 -開発のきっかけは何だったのでしょうか? このプロジェクトは

秩父に根ざした業界のリーディングカンパニーへ~プレイヤーと経営者の違いを深く痛感。社長が語る想いとは~

自分が活躍できる場所―家業に携わったきっかけを教えてください。 当社は1978年1月に私の父(現会長)が脱サラして起業しました。 当時、父は繊維業の会社に勤務していましたが、サラリーマンでは今後見通しがつかないと思ったらしく、それなら自分で起業しようと決心し、夫婦2人で自宅の一角で金属のバリ取り作業などの内職仕事から事業を始めたようです。 勢いよくスタートしたものの、当初は、金属の加工に関する経験や技術が乏しく、とても苦労したと聞いています。 私は、1978年3月に生まれ

地球を冷ます新素材!~関東も、共に未来へ #1(SPACECOOL株式会社)~

宇宙空間に熱を放出!?―いきなりですが、「SPACECOOL」とは、どんな素材ですか? 簡単に言えば、強い日射しを受ける状況でも、外気よりも冷やすことが出来る新素材です。電力などは使わないため、ゼロエネルギーです。 太陽光や熱気を反射してブロックするだけでなく、籠もった熱を宇宙空間に放出します。  -宇宙空間に放出、ですか?! これは日々、身の回りで起きている「放射冷却」という自然現象を応用したものです。 例えば、雲ひとつ無い寒い夜、車のフロントガラスに霜が付くことが

「会社は何のためにあるのか」の想いとその先にある挑戦

チョークからワイパー、そしてスポーツ用義足のパーツへ-自動車部品から義足のパーツとは、かなり飛躍した印象ですが、現在に至るまでの経緯を教えてください。 私は3代目なのですが、初代の頃はチョーク(混合気(ガソリンと空気)を濃くして、冷えたエンジンの始動性をよくするための自動車部品)が主力製品で、2代目になってからワイパーに使われるパーツであるアームピースを生産するようになりました。アームピースは今も当社の主力製品となっており、これらの製品の生産を通じて、次第に曲げ加工とねじり

「一期一会」 の精神を大切に ~ダンボールに込める想い~

「目標」を立てることの大切さ-有村社長の幼少時代について教えてください。 中学1年生の時に三芳町に引っ越し、以来、ダンボール加工をメインとする家業を手伝う傍ら、テニスに没頭する日々を送っていました。もっとテニスが上手になりたいという一心から、常に目標を意識した生活を心がけたことは、今の自分の土台となっています。 その後、22歳で大学を卒業し、2年間大手メーカーへ修行に出た後、25歳の時に当社に入社しました。 -入社後、どのように仕事に取り組まれたのでしょうか。 テニスの

最終目標は経営者レス?敏腕社長が目指す究極のストレスレス経営とは

社長自身が、そして全ての社員が、「働きたい」と思える会社に―土屋社長がDXを進めようと考えたきっかけを教えてください 父が創業した当社では、かつて、安い製品を、人手に頼り、休み無く工場を稼働させることで売上を立てていました。私は小さい頃から父の姿を見ていましたが、率直に私自身、24時間・365日会社に張り付いていたくないし、社員にもそのような生活をさせたくないと思っていました(笑)。  また、子どもの頃から、部品の切り出しなどを手伝っていましたが、単純作業が本当に嫌で、当時

「Beer Beautiful」ビールの楽しさを伝えたい

地ビールからクラフトビール「COEDOビール」誕生へ- 出自や学生時代について教えて下さい 先祖代々川越で、曾祖父は明治時代に紡績会社を立ち上げ、祖父の時代は戦争の影響もあり紡績会社をたたみ農業を行っていました。父は大企業のエンジニアでした。「協同商事」の創業者は義理の父になります。 高校生の頃の興味は「会社を経営する・事業を興す事」「料理人になる事」「哲学者になる事」の3つでした。 高校時代は日本国内を、大学時代には沢木耕太郎の紀行小説「深夜特急」の影響もあり、バックパッ

「最高」を届ける飴づくり~3度の被災を乗り越えて~

OEM専門から自社商品の製造へ― 御社ではべっこう飴や棒付きキャンディを自社商品として展開されていますが、以前はOEM中心だったのでしょうか。 はい、当初はOEM専門でした。しかし、リーマンショックで取引先企業の経営方針が変わり売上に大きな打撃があったことから、OEMに頼り切ると自立した経営ができないと危機感を覚え、事業を転換しなければと思い始めました。 自立に向けた動き出し。しかし・・・自社の経営を変えようと思った矢先のことでした。当社が災害に巻き込まれてしまったのです

ねじのように思いをつなげ、形をつくる

想像力で無限にひろがるねじの世界-ねじが主役のおもちゃ、ねじブロック。とても面白いですね。私の子どもたちもよく遊んでいます。作る過程が楽しく、できあがりもかわいらしく、私も子どもたちも大好きな玩具の一つです! ありがとうございます。ねじブロックは、ねじとアルミのブロックを組み合わせることで動物やロボットなど、様々な立体を自由に想像して創り出せる玩具です。小中学校の総合学習や、科学館のワークショップなどで実際に子どもたちの様子を見ていますが、子どもたちが、ねじを回しつなげるこ

うそのない、正直な商売を大切にしたい

うそのない醤油づくりの原点―弓削多醬油株式会社の醤油には徹底したこだわりを感じますが、こだわりを持つようになったきっかけを教えてください。 実は私は先代である父から醬油づくりを引き継ぐことができませんでした。醬油づくりは周りの方々の助けを借りながら自力で勉強しました。 わが社の醬油づくりは初代の祖父が発酵に関心を持ち、ご縁があって醬油蔵をまるごと譲り受けたのが始まりです。醬油づくりは細々とやっていて、実態は食品の産地問屋でした。3代目である父の時代、私は会社を継ぐために入社

熱い想いで佐渡から日本を支える社長の想い~緑あふれる木造工場!?~

高校で出会ったアマチュア無線。ものづくりの道へ進むきっかけと起業 ―「電磁誘導」に出会ったのはいつ頃でしょうか。 農家の長男に生まれ、高校は農業高校に進学しました。高校で出会ったのがアマチュア無線部です。それまで機械などに触れることはあまりなかったのですが、その魅力にどんどんハマっていきました。コールサインと呼ばれる交信者の情報を用い、より遠くの人と交信したり、その証明としてQSLカードの交換をすることなどがとても楽しかったです。3年生になると部長に指名され、部員をまとめ

「古木」の価値を世界へ!~三代目社長の熱き想い~

深く身に染みついた「内輪(うちわ)を大切にする」という意識。会社のため、職人さんのため、自分自身にできる仕事を。-山上社長の幼少時代について教えてください。 当時の山翠舎は、長野県内のゼネコンの下請けという立場でした。ファーストフード店などの建築に関わっていましたので、お店がオープンした際には家族皆で行っていました。また、自宅の前が工場という職人さん達と触れ合う機会が常にある環境で育ったので、職人さん達にはよく遊んでもらいました。休憩時間におやつを出したり、新年会で実家に関

Project CHAIN番外編#3 潜入調査であの記事を深掘り!「1つのオレンジを皆で分け合う」って結局どういうこと?

前回も取材にご協力いただいた橋本社長に、単刀直入に聞いてみました。 ―「明るく楽しく対等に」働くことができる会社のしかけには、例えばどんなことがありますか? 橋本社長:例えば「自律会議」という当社独自の会議ルールがあります。・・・言葉で説明するよりも、実際に参加した方が分かりますよ。ちょうどこれから経営会議を行いますので、是非体験してみてください。 な、なんと、吉村の経営方針を決める経営会議に飛び込み参加することになりました! 経営会議は、幹部のみならず、ベテランから